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刀剣徳川 Tokugawa Art
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S47409(S2491)
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刀 銘 源盛高 (金剛兵衛) 附)白檀塗鞘尾張打刀拵
古刀 室町時代後期(永正頃/1504~) 筑前
刃長 68.0cm 反り 2.3cm 元幅 31.5mm 先幅 20.0mm 元厚 7.5mm
保存刀剣鑑定書
附)
白檀塗鞘尾張打刀拵
保存刀装具拵
剣形:鎬造、低い庵棟。元幅広く踏ん張りがつき、腰元で深い反りがつく。弐尺弐寸四分強のやや長めの刃長を有し、鎬筋高く重ねが厚くつく。元先の幅差はさまに開かず中峰のびごころ。(
刀身拡大写真
)
鍛肌:小板目鍛えの地鉄は刃寄りに柾目を配し、やわらかみのある潤みごころの肌合い。微細な地沸が厚くついて淡く白い映りがたつ。
刃紋:直刃僅かにのたれ、小沸厚くつもる刃縁にほつれ・うちのけ、金線かかる。無数の小足は刃先に放射し、小沸の豊かな働き充満して明るい。
帽子:直ぐに小丸に返る。
茎:生ぶ、目釘孔一個。鑢目は浅い勝手下がり、棟肉平。茎尻は金剛兵衛派独特の『卒塔婆』形となる。大きく穿かれた目釘孔の下方の平地には大振りの鏨で『源盛高』の三字銘。
金剛兵衛盛高は鎌倉時代末期から室町時代末期にかけて活動した天台宗系山伏派の僧門鍛冶。初代『盛高』は『盛国』の子、左文字一派とほぼ時代が相前後しており、のちに左文字の祖となる『良西』の孫と伝えられ、『西蓮』とは義兄弟の間柄という。
太宰府の庇護のもと蒙古襲来時より鍛刀して以降、僧坊四百を数え永く繁栄を続けた。一派の起源は、太宰府の鬼門にあたる宝満山にある竈門神社の山伏で、
竈門
(
かまど
)
神社の号『金剛』に因んで『金剛兵衛』を冠し、同社には『刀工金剛兵衛源盛高発祥乃地』と刻した石碑もある。
本作はやや長めの寸法に腰反り高くついた素早い抜刀に好適な姿。鎬高く棟に向かい鎬地をやや削いだ強固な肉置きは室町期の打刀の典型。『ねっとり』と表現される西海道特有の潤いある地鉄鍛の肌合いに同派特有の大和色豊かな直刃を焼き、一派の特徴である卒塔婆形に茎尻を三角形に結ぶ。
尾張徳川家藩士旧蔵の稀有な打刀拵が附帯しており、鞘袋も温存された内外共に完存の優品である
附)
白檀塗鞘尾張打刀拵
(
全体写真
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刀装具各部写真
)
縁頭:葵唐草蔦図、赤銅魚子地、金色絵、無銘
目貫:葵紋三双図、赤銅容彫、金色絵
鐔:片輪車透図、鉄地、槌目地、陰透、銘:豫州松山住相阿弥森勝
柄:白鮫着、鉄納戸色常組糸諸撮菱巻
鞘袋
時代尾張二重はばき(下貝山銅・上貝銀地)、白鞘付属
参考文献:
藤代義雄・藤代松雄『日本刀工辞典』藤代商店 昭和五十年
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
注) 宝満山の姿が
竈門
(
かまど
)
の形に見え、常に雲霧が絶えず、それがカマドで煮炊きをして煙が立ち上っているように見えることに由来していると言われている。中世以降は修験者による信仰が盛んになり、険しくも秀麗な宝満山の姿に多くの山伏が憧れ、厳しい修練を重ね、世の平安と人々の除災招福のための国家的祭祀が行われた。
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