K50291(T3690)

短刀 銘 兼盛

古刀 室町時代後期 (天文頃/1532~) 美濃
刃長29.4cm 反り0.4cm 元幅25.1mm 元重6.0mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:平造、庵棟。九寸七分半と寸延びて、元幅・重ねともに頃合に中間反りの均整のとれた剣形。(刀身拡大写真
彫物:表には棒樋、裏にも幅広の棒樋の彫物があり、双方ともに茎に掻き流す。
鍛肌:板目肌、刃寄り流れて肌立つ地鉄強く冴える。
刃紋:匂い出来の焼刃は直ぐに長く焼きだして、大互の目を連ねて『矢筈刃』となり頗る賑やか。
帽子:直ぐに中丸となり棟深く返り堅く留まる。
茎:生ぶ、目釘孔二個。刃側を削いで舟底風となり浅い栗尻に結ぶ。鑢目は檜垣で棟肉は平、此所にも檜垣鑢がある。指表の第二目釘孔下の棟寄りには古雅な鏨運びの二字銘『兼盛』とある。
 『兼盛』は日本刀銘鑑によると、永享・嘉吉頃(1429-43)を初代とし、文明頃(1469-)さらには天文頃(1532-)とつづいて三代にわたり、室町時代をつうじて赤坂・関の地に鞴を構えたという。
 この短刀は室町時代後期、天文頃(1532~)の『兼盛』の作刀。矢筈乱れは、互の目の頭が左右に張って矢筈模様に焼き入れされた刃文。矢筈とは弓矢の終端部、弓の弦をつがえる部分で、矢羽が開いた図柄を模した矢筈模様は織物や家紋などに採用された。また本作のように同様の刃文は室町時代の美濃刀にも多くみられる。新刀ではその技法を継承した尾張鍛冶にも同様な作風がある。
山銅地上貝木瓜紋透二重台座はばき、白鞘入

室町期後半に入ると、足利幕府の弱体化に伴う政情不安から応任の乱(1467~77)に端を発する戦国動乱の時代となり、利器としての日本刀の需要が急速に高まる。関鍛冶らは鍛冶仲間の自治組織である『鍛冶座』を結成し、刀祖神を奈良の春日大社から関の春日神社に分祀して関刀鍛冶の本拠地として奉り崇めた。また『関七流』と呼ばれる善定派(兼吉)・室屋派(兼在)・良賢派(兼行)・奈良派(兼常)・得永派(兼弘)・三阿弥派(兼則)・得印派(兼安)を形成して統率し、豪族・戦国大名より受注を一手に承けて繁栄し全盛期を迎えることになる。
また美濃国には関鍛冶ばかりでなく、『末関鍛冶』と呼ばれる諸鍛冶達が、蜂屋(美濃加茂市)・坂倉(坂祝町)・赤坂、清水(大垣市)などの地で作刀している。
長船の地と双璧の規模であった我が国随一の刀剣最大生産地として繁栄した美濃の関鍛冶達は慶長五年(1600)の関ヶ原合戦で徳川家康が勝利し、徳川幕府泰平の世になると刀剣需要は急速に縮小し、彼らは有力大名の城下町へと四散して新刀期の刀剣生産を担っていくことになる。

参考資料:
得能一男編纂『美濃刀大鑑』刀剣研究連合会発行、昭和五十年十一月
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、平成十八年
本間薫山・石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年