剣形:鎬造り、三ツ棟、身幅尋常、反り浅く中峰に結ぶ。
鍛肌:板目肌流れて肌たち、地沸あつくつき地景入る。
刃紋:刃縁沸よくつき、のたれに互の目交じり、足よく入り、葉入り、匂口深く、砂流し頻りにかかり、金筋入る。
中心:茎生ぶ(区送り)、先薬研型。やすり目表大筋違い、裏は逆大筋違い、棟やすりは桧垣になる。目釘穴弐。中一埋。指表目釘孔の下中央に太彫銘の二字銘がある。
帽子:乱れこんで掃きかけ、返り深い。
小野繁慶は三河生まれで徳川家康、秀忠の鉄砲鍛冶として重用され、創めは清堯と名乗った。寛永元年(1624)から繁慶と改名し、駿河などで作刀した。後に江戸に出て鉄砲町に住し、則重風の独特の鍛錬を生み出した。この刀は古作則重に強く私淑したと思われ、松皮肌と呼ばれる大杢目肌が現れ、刃中にも沸が深く鍛肌に絡んで冴え、砂流し、金線を強調した覇気ある作風を示している。茎は他に類のない独特の細めで先が薬研型となり、刃側、棟側ともに区深く、さらに既述のごとく独特のやすり目を施し、且つ銘も鏨ではなく、彫銘にするなど強烈な個性を顕している。繁の右肩のつくり壮年銘「ロ又」となっており、相州伝傑作の一口である。この刀は新刀大鑑に所載にもなっている。
金着二重はばき、白鞘入り(本間薫山鞘書)