I26061(S1980)

刀 銘 加賀国金沢住人木下兼豊作 明治四年辛未八月日鍛之 宮内省御用ニ付

新々刀 明治時代初期 (明治四年/1872)加賀
刃長69.3cm 反り1.6cm 重ね7.5mm 元幅30.3mm 先幅21.3mm
保存刀剣鑑定書

剣形:鎬造り、庵棟。元の身幅広く、重ね厚くかつ平肉豊かに、刃区の深い原姿を保ち、反りが適度に付いて切先の伸びた重厚たる体躯。
鍛肌:小杢目肌がよく詰んで冴え、地沸付いて鎬地は柾目肌。(刀身詳細写真
刃紋:粗沸が刃縁に絡み、浅く焼きだした湾れ刃は表裏揃いごころ。処々に箱刃を焼いて刃縁は明るく輝き冴える。
中心:茎生ぶ、茎尻は入山形。目釘孔壱個、鑢目は鷹の羽に化粧。太刀銘で茎鎬地上方に『加賀国金沢住人木下兼豊作』の長銘。裏鎬地に『明治四年辛未八月日鍛之』の制作年紀、平地には『宮内省御用ニ付』の切付銘がある。
帽子:横手下で鎮まり、直ぐに中丸となる。
 加賀金澤に住した木下甚吾『兼豊』は、天保二年三月十五日(1831)に生まれ、『木下甚之丞兼重」の弟。慶應二年三月十五日(1866)に伊勢大掾を受領し、幕政時代は『木下藤原兼豊作』、『木下伊勢大掾藤原兼豊』などの銘をきる。明治四十年七月十(1907)歿、享年七十七。
 この刀は明治四年(1871)、同工四十歳円熟の作。『宮内省御用ニ付』と切付銘があることから、宮内省よりの特別注文として制作されたことがわかる。大政奉還を経て明治二年三月二十八日、明治天皇は東京皇居に到着して東京遷都を迎えた。加賀前田候に仕えた兼豊はその役割を替えて『伊勢大掾』の任官を返上し、藤原姓を省いて皇室の御用を務めたことが判る。
 作柄をみるに兄である兼重同様に小杢目肌が密に詰んで湾れに箱刃を交えての刃文は表裏が揃いごころに切先の伸びた凛々しい姿は所詮同国の『兼若』に私淑した作風を魅せる優品である。
時代山銅二重はばき。白鞘付属
注)加賀の陀羅尼系に属する勝国一族は加賀藩主前田家に仕えた。二代の勝国の子である「泰平(初銘:勝家)」→「兼久」→「木下甚之丞兼重」と続いた
参考資料:
本間薫山、石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和五十年
『加州新刀大鑑』(財)日本美術刀剣保存協会 石川県支部 昭和四十八年一月十日