T209123(W2891)

脇指 銘 来国治

新刀 江戸時代中期 (正徳頃/1711~) 尾張
刃長 47.5cm 反り 0.9cm 元幅 32.7mm 先幅 23.5mm 元厚 7.4mm

特別保存刀剣鑑定書

特別貴重刀剣認定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。重ね厚く身幅広く反り浅くつき元先の幅差さまで開かずに中峰のびる。頑強な造り込みではばきを外して576㌘と重厚な手持ち。(刀身全体写真
鍛肌:板目肌よく錬れて詰み鎬地柾目肌。地沸厚くついて板目に呼応した青黒い地景を織りなす強靭な地鉄。
刃文:ごく短く刃区を焼きだして互の目・箱刃、腰の括れた丁子刃や蛙子乱れを交えて広狭変化に富む。一分跳び焼きを交え絢爛豪華なる太乱れ。刃縁にはやや粗めの沸が凝る。刃中は角度変化のある丁子の沸足が放射して明るい閃光を放ち冴える。
帽子:表裏とも焼刃強く高く乱れ込んで強く掃きかけて尖り、やや深く返る。
中心:生ぶ。刃・棟双方の区深く、短めで余分な肉を削いだ茎の造形は尾張刀の特徴が顕著。鑢目は大筋違に化粧、棟肉豊かに付いて此所にも大筋違の鑢目がある。茎尻は入山形、目釘孔壱個。履表の鎬地、大きく穿かれた目釘穴下方鎬地には、やや小振りで太鏨の三字銘『来国治』とある。

 『来国治』、本国美濃関上有知(こうずち)の産、尾張国犬山に移住した「得印派」の刀工『広辰』の子で名を『権兵衛』、初銘を『秀辰(ひでとき)』という。
 はじめ『相模守政常』の門下で鍛刀を学び、『山城守』を受領後に大阪へ移住。『関住山城守秀辰』、『山城守藤原秀辰』などと銘を切る。後年には尾張に帰郷して名古屋袋町(現在の中区錦二・三丁目)に鞴を構え、中島来の末葉と伝えられる『田中弐五郎来国善』の門人となり『来国治』と改銘。尾張藩の御用刀工となった。晩年は江戸でも作刀したと伝えられる。
 後年は名古屋城下の下御深井御庭(したおふけおにわ)(今の名古屋城北側の名城公園)で鍛刀したことから『御深井(おふけ)国治』とも呼称された。切れ味に定評があり業物の名声が高く、華麗な刃文も特徴である。
 初銘『秀辰(ひでとき)』の初期の作域をみるに、匂い勝ちに互の目に腰が括れ、やや逆がかった刃を交えるなど本国美濃伝が主体であるのに比して表題の脇指は大阪に出て沸匂ともにやや深くつき艶やかな大乱れとなるなど大阪新刀の影響を感じる作風を示している。
 強固な柄木を好んだ尚武の尾張藩士の求めから、刃棟区とも深く上半の豪壮さに比較して茎の肉を削いだ剣形は尾張刀の特徴でもある。この脇指は片手で容易に扱えないほどにどっしりとした手持ちがありまさに尾張新刀の雄である。
山銅地一重時代はばき、白鞘入り。
参考文献:岩田 與 『尾張刀工譜』 名古屋市教育委員会、昭和五十九年