A69578(T3196)

短刀 銘 兼則 附)黒石目地鞘小さ刀拵

古刀 室町時代後期(天文頃/1532~) 美濃
刃長 27.6cm 反り 0.1cm 元幅 27.1mm 元重 5.1mm

保存刀剣鑑定書

附)黒石目地鞘小さ刀拵

 

剣形:平造り、庵棟高くほぼ無反りの短刀。やや薄めの重ね、身幅広く寸のびてふくら張る雄渾な造り込み。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌に棟寄りは柾流れて総体肌立つ。棟寄りには淡く白け映りがたつ。
彫物:表には腰樋、裏には護摩橋の彫物、双方ともに茎に掻き流す。
刃文:湾れに互の目、丁子刃、尖り刃や逆がかった刃を交え、表裏の焼刃揃いごころで高低変化に富む焼刃。刃縁にはやや粗めの沸がよくついて明るく冴え、刃中は匂が深くついて互の目の足よく入り、葉浮かび、砂流しかかるなど沸匂の野趣に富んだ働きがある。
帽子:焼刃高い互の目を焼いて先中丸となり砂流しかかる、所謂『地蔵風』となり、棟に堅く留まる。
茎:生ぶ、僅かに反りがある。刃・棟の両区深く栗尻張る。鑢目檜垣。棟肉平で大筋違の鑢目。大きく穿つ目釘孔一個。掃表の目釘孔下方の棟寄りには古雅細鏨の二字銘『兼則』がある。

 『兼則』は関七流の一つ三阿弥派の始祖として代々頭領を勤めた。兼元、兼定らとともに美濃を代表する刀工の一人である。銘鑑によると南北朝期末から応永にかけて直江町に『兼則』の名が記されており、現存する年紀作では永正から天正までの作刀が確認され、天文年間に多くの作刀を残している。
 古刀末期から新刀初期には良業物の誉れ高く、優れた技量を認められて上杉氏の越後春日山、朝倉氏の越前一乗谷、松平氏の越中富山、尾張徳川名古屋、信州へと出向いて武士の需めに応えている。
 この短刀は太刀の添指として抜群の切味を有した戦国武将たち羨望の良業物。重ね薄めに九寸強と寸が延びた雄渾たる貫禄を湛え、美濃国、関の代表工『兼則』の地・刃・茎ともに生ぶの元姿を留める佳品である。
附)黒石目地塗鞘小さ刀拵 (拵全体写真 / 刀装具各部写真
  • 縁:丁子唐草図、頭:壽扇子図 赤銅魚子地、金色絵、無銘
  • 目貫:唐草に木瓜紋図、赤銅容彫、金色絵
  • 小柄:猩々図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘
  • 鐔:沙耶形文図、鉄地木瓜形、銀象嵌、無銘
  • 柄:白鮫着、黒色常組糸諸捻菱巻
山銅地銀着せ二重はばき、白鞘付属
参考文献:杉浦良幸・鈴木卓夫『室町期 美濃刀工の研究』里文出版、平成十八年