S29398(T3719)

短刀 銘 兼春 附)黒漆梅花皮鮫研出鞘小さ刀拵

古刀 室町時代後期(永正頃/1504~)美濃
刃長25.0cm やや内反り 元幅25.9mm 重ね5.8mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒漆梅花皮鮫研出鞘小さ刀拵

保存刀装具鑑定書

 

剣形:平造、庵棟短刀。茎は刃長に比して短めで僅かに反りがつく。身幅頃合いにふくら枯れごころ。切先が筍状に伏さり僅かに内反りにフクラ枯れて刺突を念頭においた戦国時代盛期の鎧通し。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌たち、刃および棟寄り柾目肌流れる。地には淡い白けごころの映りがたつ。
刃紋:小乱れ直刃僅かに湾れ小沸厚くつく。上半はさらに沸厚くついて二重刃・ほつれる刃を交える。
帽子:表は中丸、裏は小丸に突き上げて返り深く焼き下げる。
茎:生ぶ、僅かに反りがつく。切の鑢目、茎尻は刃上がりの栗尻。目釘二個。右手裏の目釘穴上方棟寄りに小振細鏨で古雅な『兼春』の二字銘がある。

 兼春は、『日本刀銘鑑』によると「『濃州関住兼春作』関 三阿弥 兼行子 四郎 長禄、」、「年紀」長禄三(1459)、文明四(1472)とあるのが最も古く、以降は永正、天文、天正の作例をあげ、室町期を通じて七名ほどの兼春がいたことを記載している。『校正古刀銘鑑』には「兼春 関住 長禄二年(1458)」および「兼春 関作 弘治三年(1557)」の二例が記録されている。
 現存する『兼春』の年紀作はさらに少なく、文正二年(1467)、天文二十一(1552)、同二十三年紀(1554)、永禄三(1560)、同六年紀(1563)および慶長元年紀(1596)のものがあり、同工は長禄から慶長頃にかけて数代に亘る活躍期であったことを知ることができる。
 この短刀は細鏨の銘振から永正頃の『兼春』の作。鎌倉時代の山城物のを念頭とした姿の良い体躯をして、元の重ね厚く筍状のやや内反りの鋭利な体躯に板目鍛えの地鉄は淡い映りが乱れかかり古雅な趣き、沸主調の小乱れは鼠足状に変幻し二重刃・ほつれる刃を交える。右腰に帯刀して咄嗟の刺突に備えた実利の鎧通しの短刀で乱世を生き抜く武士の尚武の気風をいまに伝える。
幕政時代に製作された舶来稀有な梅花鮫研出鞘の小さ刀拵が附された内外共に完存の優品。

附)黒漆梅花皮鮫研出鞘小さ刀拵保存刀装具
(拵全体写真 /刀装具各部拡大写真
  • 縁頭:業平東下り図、朧銀磨地、高彫色絵、無銘
  • 目貫:牡丹咥獅子図、金無垢地、容彫、赤銅象嵌
  • 小柄:波に龍図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、裏哺金、無銘
  • 鐔:竪丸喰出形、赤銅波地、鋤出彫、耳に龍肉彫、金色絵、無銘
金着せ一重はばき、白鞘付属
参考資料:
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、平成十八年
石井昌国・本間薫山『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年