F23140(S1983)

刀 銘 具氏

古刀 室町時代後期 (永正頃/1504~) 美濃
刃長 72.7cm 反り 1.8cm 元幅 27.7mm 先幅 20.0mm 元重 7.3mm

特別保存刀剣鑑定書

剣形:鎬造り、庵棟。二尺四寸と寸が延び、腰反りやや深くついて先反りを加え、中峰延びごころの勇壮な体躯。鎬筋の重ねが高く、鎬地の肉を削いだ強靭な造り込み。(刀身拡大写真) 鍛肌:板目肌よく錬れて詰み、地沸厚くついて板目状の地景入る。鎬地は柾目の鍛肌目顕著。 刃紋:沸出来の湾れに互の目・複式互の目箱がかり処々湯走り状の飛び焼き・二重刃があり明るく冴えて刃中は清涼な匂が充満する。 帽子:湾れて乱れ込んで掃きかけて先中丸となり深く返る。 茎:生ぶ。目釘穴一個、舟底風の茎にも反りがついて刃上がり栗尻に結ぶ。鎬地・平地ともに檜垣鑢かかり、棟肉平。目釘孔下方やや平地寄りには古雅な鏨運びで大振りの二字銘『具氏(ともうじ)』がある。  美濃伝は「五箇伝」の後発として美濃を中心として興隆した流派。鎌倉時代末期から南北朝期(1333~92)にかけて、『志津三郎兼氏』が大和国から多芸郡志津(養老郡南濃町志津)へ、同時期に『金重』が越前国から関へと移住して来た。さらに越前から『国長・国行・為継』らが赤坂(大垣市赤坂町)へと移住するなど諸国から移住し、美濃国の刀鍛冶は隆盛期を迎えるようになる。  『日本刀銘鑑』によると永和(1375~78)の頃、大和国からは『兼光』(右衛門尉・金行の娘婿、手掻『包永』の三男で初銘『包光』)が、一門鍛冶の『兼明・兼弘』らを伴って関の地に移住、『関鍛冶の祖鍛冶』※といわれている。
 乱世の時代に関の地に移住した大和鍛冶らは本格的に活動をはじめ、『兼光』を祖とする関の刀鍛冶らは鍛冶仲間の自治組織である「鍛冶座」を結成し、刀祖神を奈良の春日大社から、関の春日神社(南春日町)に分祀し、同社を関刀鍛冶の本拠地として活動し最盛期を迎えている。「関七流」と呼称される善定派(兼吉)・室屋派(兼在)・良賢派(兼行)・奈良派(兼常)・得永派(兼弘)・三阿弥派(兼則)・得印派(兼安)の七派を形成して互いに技を競った。
  表題の『具氏』は関の住、天文頃(1532~)を大凡の活躍期とされる。同族と想われる『具衡(ともひら)』は岐阜での駐鎚がある。
 この刀は弐尺四寸〇分と寸延びて腰反り深く、併せて先反りを加えた原姿を遺す稀有な一口。騎馬戦を念頭にした長寸の太刀姿は鎬筋を高く張らせた強靭な造り込みに鎬地を削いで刃の通り抜けの良さと重量の軽減を両立させた体躯。
 檜垣鑢が施された茎は元姿を留めて錆色良好、『具氏』の古雅な二字銘が明瞭に刻されている。戦国時代を駆け抜けた野趣に富んだ凄味のある打刀で室町期美濃刀の特徴を明示する代表作といえよう。
金着太刀はばき、時代白鞘入
※関鍛冶は『金重』・『兼光』・『兼永』達を祖鍛冶とし、元祖を鎌倉末期、永徳頃(1381)の『元重』を元祖としている
参考資料:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 2008
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 2006
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 1975