剣形:二尺一分半と寸の詰まる『銀杏穂槍』。塩首丸く短く、穂の身幅広くふくら豊かに張る。表は塩首から横手に向かいしだいに重ねを厚く採り、鎬峰高く張って横手筋から穂先に向かい峰筋を丸く卸した銀杏形。裏は丸塩首から横手筋までしだいに肉を平に採り、穂先に向かって丸く平肉をつけて切先に結ぶ。(
刀身拡大写真) 彫物:裏平地には棒樋の彫物がある。 鍛肌:小板目鍛の地鉄は微塵に詰んで総体柾がかり、地沸が緻密について鉄色冴える。 刃紋:沸出来の広直刃。柾目鍛に呼応して刃縁にほつれるところがある。鋩子は掃きかけごころに中丸となり鎬に深く焼き下げる。裏は直ぐに大丸となり掃きかけごころ。刃中は柔らかな匂が充満している。 中心:茎生ぶ、目釘孔一個。塩首から目釘孔下方にわたり約四寸(12cm)は切鑢、以降は大筋違となる。両側面にも同様の切・大筋違の鑢目。茎尻は浅い栗尻に結ぶ。表の塩首下方、目釘孔上には『延寿宣勝作』の五字銘、裏の同位置は『文久二年二月日』の年紀がある。 宣勝は名を『武永喜三右衛門』、古刀延寿鍛冶の末孫で肥後細川家の刀工。はじめ美作の多田正利に学び、のち藩命により江戸に出て津山藩工の細川正義に師事した。銘鑑によると天保十五年から慶應三年までの年紀作がある。明治四年歿、享年七十五。 この鎗は文久二年、武永宣勝六十五歳の円熟作。愛らしい穂先は熊本城の銀杏大樹
(注)を念頭に於いたのであろうか、丸く短い塩首に中央の鎬筋は放物状に丸く、穂先のふくら豊かに張らせて肉置き豊満に熟した銀杏を想わせ、裏には丸留の打樋が刻されている。160年間に及ぶ茎の保存状態と錆味も良好。切り・大筋違の鑢目鮮明に細鏨で刻された長銘と裏年紀ともに珍重、同工の卓越した火造りと焼き入れ技量を首肯する完存の優品である。
鋼口金、
白鞘入 生ぶ品のため僅かな錆があります。
*熊本城は別名『銀杏城』とも呼ばれている。天守閣前広場には銀杏の大樹があり、加藤清正のお手植えと伝わっている。明治10(1877)年の西南戦争直前に天守・本丸御殿が焼失した際にこの銀杏も焼けてしまい現在の銀杏は焼失後に新しい芽が成長したものと云われている。参考資料:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
熊本城
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