K7126(S1898)

刀 銘 平盛次 附)腰刻黒漆石目地塗虎墨蒔絵鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期 (寛永~正保頃/1624~47) 豊後
刃長 70.4cm 反り 1.0cm 元幅 31.6mm 先幅20.2mm 元重 7.4mm

保存刀剣鑑定書

附)腰刻黒漆石目地塗虎墨蒔絵鞘打刀拵

剣形:鎬造り、低い庵棟。身幅広く重ねが厚い。鎬筋が高く、棟に向かってやや肉を削ぎ落とす強靭な造り込み。やや浅めの反りがついて中峰延び、どっしりとした手持ち。(刀身拡大写真
鍛肌:板目に杢交えて肌目たち、鎬地は柾目。平地には地沸厚くついて地景入る。
刃紋:区を長く焼き出し、小沸出来の湾れに互の目、尖刃を交える。刃縁には沸が厚く積もり、ここに砂流しかかり刃先に煙り込む。互の目の足が刃先に放射して明るく冴える。
帽子:横手下で互の目を焼いて直ぐとなり中丸に返る。
茎:生ぶ、目釘孔一個。切鑢目、棟小肉ついてここには大筋違の鑢目がある。茎尻は刃上がり栗形。大きく穿かれた目釘孔下の鎬地寄りに大振りな三字銘『平盛次』がある。

 鎌倉時代初期、豊後国には『定秀』につづき、後鳥羽上皇の御番鍛冶『行平』の名工が勃興した。南北朝時代には高田の地に友行が出現して豊後国『古高田』の始祖として名高い。文明二年(1470)に大山祇神社に奉納された国宝の大太刀 無銘 伝豊後友行 附)野太刀拵をはじめ重要文化財、重要美術品を含め五口の国指定品がある。
 友行の門人である重行の子、長盛の代より藤原姓を改め、平姓を名乗ったことから室町時代の作品は『平高田』もしくは『末高田』と呼称している。戦国時代末期になると高田の地は大友氏の庇護を受けて備前、美濃と比肩する最盛期を迎えて利刀を鍛えた。
 安土桃山期になると大友氏の失脚に伴い一時衰退したものの、海運の利に恵まれて再復興し『統行』以降に藤原姓を復活させたことより『藤原高田』または『新刀高田』とも呼ばれている。
 高田鍛冶は古刀期より盛んに他伝を採り入れたために作域が広く、斬れ味に優れたことから中級武士の好尚に乗じて大いに繁盛し、統行、重行、行長らが良業物位列に叙され称賛されている。
 銘鑑によると、明応頃(1492~)の盛次には源姓および平姓を名乗るものがおり、天文頃の二代は平姓を冠したという。この刀は新刀期寛永頃の高田鍛冶『盛次』の作。鎬高い強靭な造り込みをしており刃の通りを良くすべく棟肉を削ぎ落とす。板目の地鉄は地沸がつき、太い地景を伴って強靱な地鉄をしている。小沸本位の浅く湾れる互の目乱れは刃縁に豊かな働きを魅せて砂流し頻りとかかり、沸足は刃先に放射して明るく冴える華麗な作風を明示しながらも実利を念頭においた尚武の気風に満ちている。

 附帯の時代打刀拵は猛虎の墨蒔絵鞘に雪持笹竹・蛇図金具に雲龍図鐔を付した洒落た装いで、保存状態の優れた内外完存の逸品である。
附)腰刻黒漆石目地塗虎墨蒔絵鞘打刀拵拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:雪持金小縁笹竹図、真鍮地、赤銅、山銅色絵、無銘
  • 目貫:蛇図、銀地容彫
  • 鐔:雲龍唐草図、鉄地、撫角形、金布目象嵌、両櫃孔赤銅埋、無銘
  • 柄:白鮫着茶漆革片手絡巻
  • 鞘:腰刻黒漆石目地塗虎墨蒔絵、真鍮地鐺
真鍮地鍍金はばき、白鞘入り
参考文献:本閒順治・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和50年