A34313(S1999)

刀 銘 勢州住千子正重 附)青貝微塵黒漆竪篠塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(寛文頃/1661~) 伊勢
刃長 72.6cm 反り 2.6cm 元幅 32.5mm 先幅 21.8mm 元重 7.5mm

特別保存刀剣鑑定書

附)青貝微塵黒漆竪篠塗鞘打刀拵

保存刀装具拵鑑定書

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:鎬造り、庵棟。寸延びて元先の身幅が広く、重ね厚くついて深い反りがついて刃側張り、中峰延びる。刃棟側の両区が深く遺された頗る健全な体躯をしている。(刀身拡大写真鍛肌:地鉄は板目に征交えて地沸つき、繊細な地景入り鉄色明るい。
刃紋:沸出来の湾れの刃文は、刃縁に小沸が厚くついて積もり二重刃・ホツレる刃を交えて、表裏揃いごころの小互の目・尖り刃を交える。刃縁には砂流し・金線が断続的に掛かり明るく冴える。
帽子:よく沸えて乱れ込み中丸となり深く棟に返りかたく留まる。
茎:生ぶ、目釘孔一個。勝手下がりの鑢目。棟肉平にここにも勝手下がりの鑢目があり、刃側は小肉がつく。たなご腹の茎尻は刃上がりの剣形に結ぶ。佩表の棟寄りには大振りの鏨で『勢州住千子正重』の長銘がある。

 千子派を代表する刀工である『正重』は初代村正の子、娘婿、もしくは門人とも伝えられている。初代を永正、二代は天文頃で、『正重』、もしくは『正重作』と銘をきり『正』の字が右肩上がりになるのが特徴である。初代正重の作と鑑せられる作品の茎尻は刃上がりの栗尻でやや小振りな銘を切るのに比して、二代の正重は時代が降りるに従い茎仕立ては極端なたなご腹となり、茎尻の剣形も誇張され、銘も大振りで『正』の字は極端な右肩上がりになる特徴がある。師である『村正』の作位にもっとも迫り、時に凌ぐ物もある。一説によると勢州鹿伏兎平ノ沢(三重県鈴鹿郡関町金沢)に居住した。刀は比較的少なく短刀や寸延物が多い。多度大社の御神宝には三重県指定文化財である脇指 『銘 正重 多度山権現』が祀られている。
 本作は『勢州住千子正重』と長銘を刻する新刀期、寛文頃の千子正重。その作風は沸本位の焼刃が表裏が揃いごころで、茎はたなご腹風となるなど古刀期の正重の作刀に近接して、剣形はさらに大振りとなる。桑名宗社蔵品の太刀『銘 勢州桑名藤原千子正重 寛文二年壬寅正月三日』と『銘 勢州桑名藤原千子正重 寛文元年辛丑十二月吉日』の二口は平成二十七年に三重県指定文化財に指定された。
 この刀は慧眼する同工の作刀に比して反りが高く中峰延びごころに造り込まれて二尺三寸九分と更に寸が延びた、所謂太刀を念頭に於いた造り込みをしている。重ねが厚く手持ちが重ずしりと重い威風堂々とした体躯から頗る健全であることがわかる。同派特有のたなご腹風茎の錆味優れて鑢目鮮明に、鏨深く大振りで奔放な銘振りも典型である。

附)青貝微塵黒漆竪篠塗鞘打刀拵拵全体写真刀装具各部写真
  • 縁頭 : 銀地、素文図、無銘
  • 目貫 : 蔦柏紋図 金地
  • 鐔 : 珠追雨龍図 鉄地 砂張象嵌、金象眼 無銘
  • 柄 : 白鮫着、鉄納戸色糸諸撮巻
神職に多い家紋とされる『蔓柏紋』(注)の目貫で装われた上質な幕政時代の半太刀拵は神前に供されたのであろう、内外共に完存の優品である。
鍍金太刀はばき、白鞘付属
参考資料:
本間薫山・石井昌國 『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和五十年
桑名市博物館『村正ー伊勢桑名の刀工ー』平成二十八年
注)蔦柏紋は伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の神職家の一つである久志本家や多度大社、熱田神宮の大宮司の家柄の千秋家などが、自家の家紋として用いている