N4956(W3255)

脇指 銘 近江大掾藤原忠広 附)黒蝋色千段腰刻鞘脇指拵

新刀 江戸時代前期 (正保 1644-47年頃) 肥前
刃長43.0cm 反り0.9cm 元幅30.3mm 先幅21.3mm 元厚6.6mm

 特別保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く重ねやや厚め。均整とれた中間反りがついて元先の幅差がさまで開かず、物打ちあたりの身幅も張って中峰のびる。(刀身拡大写真)
鍛肌:小杢目肌が精緻によく詰み、地沸微塵に厚くついて明るい地景細やかによく入り、鉄色冴える。
刃紋:広直刃僅かに湾れ、刃縁の沸は帯状に厚く積もり明るい閃光を放つ。刃中は匂充満し、物打ちの刃沸はより強く厚くついて、匂いさらに深く刃先に放射して頗る明るい。
帽子:焼高く、直ぐに中丸となる。
茎:生ぶ、茎尻は剣形。鑢目は僅かに勝手上がり。棟肉平で浅い勝手上がりの鑢目がある。目釘孔一個。佩表の棟地には『近江大掾藤原忠広』の長銘がある。
 近江大掾忠広は初代忠吉の子。はじめ橋本平作郎のち新左衛門を襲名。寛永九年(1632)父忠吉没後、忠広を襲名してから終世『忠広』を名乗り、『忠吉』を名乗っていない。寛永十八年(1641)七月二十二日近江大掾を受領。藩より屋敷と切米二十石を拝領。元禄六年(1693)五月二十七日没、享年八十であった。
 寛永七年から元禄初めまでの作品が残り、52年の長きに渡って幾多の名品を世に送り続けた。 鎌倉時代の山城国、来国光を念頭に『小糠肌』と称賛を浴びる小板目肌に微塵の地錵を涌きだたせる肥前肌と帯状の匂口に明るい小錵を交えた直刃を完成の域に至らしめた巧手であった。刀は太刀銘に、脇差および短刀は佩表の刀銘に切るのが通常であるが、二尺を超える刀にも脇差として作ったものは、刀銘に切ることもある。「肥前國住藤原忠廣」「近江大掾藤原忠廣」「肥前國住近江大掾藤原忠廣」「肥前國忠廣」「忠廣」などの銘を見る。
 この脇指は身幅広く平肉豊かな体躯を保持して頗る健全。精美な小杢目鍛の地鉄には新雪の如く小沸が刃縁に厚く積もり明るい閃光を放ち、小足が無数に入って刃中には春霞のごとく深く厚い沸匂充満している。入念たる長銘が刻された茎の鑢目鮮明に、錆色良好。熟練の技が遺憾なく発揮された優品である。

附)黒蝋色千段腰刻鞘脇指拵 (拵全体写真・表・裏/刀装具各部写真)
  • 縁頭:河骨羊歯図、赤銅魚子地、鋤下彫、金色絵、無銘
  • 目貫:水仙図、赤銅容彫、金色絵
  • 鐸:秋草二疋鹿図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘
  • 小柄:熨斗図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘
  • 柄:白鮫着、組上糸諸撮菱巻
金着一重はばき、白鞘入り