T18170(W3397)

脇指 銘 丹後守藤原寿命

新刀 江戸時代初期(寛永頃/1625~)尾張
刃長 54.8cm 反り 1.5cm 元幅 34.9mm 先幅 25.5mm 重ね 7.8mm
特別保存刀剣鑑定書

売却済

 

剣形:鎬造り、庵棟。刃長一尺八寸一分強の大脇指。頃合の反りがついて、元身幅広く、元先の幅差さまで開かずに中鋒延び、手持ち重厚に(644㌘/はばき除く)、寛永頃の典型な豪壮な造り込みをしている。(刀身拡大写真
彫物:表裏にははばき上丸留めで、樋先の下がった片チリ棒樋の彫物がある。
鍛肌:やや低い小互の目で焼きだし、焼刃の高い大房の互の目を連ねる。刃縁には沸厚くついて互の目の足が太く入り刃先に放射して、刃中砂流し頻りとかかり、明るく冴えた沸の働き豊か。
帽子:焼刃高く掃きかけて、一枚風となり中丸。
茎:生ぶ、刃長に比して短めの茎。目釘孔一個。茎尻入山型。大筋違の鑢目、棟肉つきここにも大筋違の鑢目がある。目釘孔下方の鎬地には『丹後守藤原寿命』の長銘が刻されている。
 『寿命(としなが)』もしくは(じゅみょう)ともいう。名は『近藤助左衛門』、天正八年(1580)美濃国関に生まれ、慶長年間に尾張清洲鍛冶町に移住して『岩捲寿命』といった。
 寛永二年(1625)に『丹後守』を受領、尾張徳川家から俸米を受けて同五年(1628)には名古屋城下戸田町に鞴を構えた。慶安四年(1651)、藩主の徳川義直の命で名古屋城内蓄蔵の南蛮鉄を以て鍛刀し、功労で十人扶持を受けた。『丹後守藤原寿命 以南蛮鉄作之』の遺作がある。寛文三年(1663)、八十四歳の長命で歿した。
 二代『寿命』は助左衛門の三男。同じく丹後守を任官して寛文二年(1662)六月十二日に尾張徳川家より十人扶持を受け、天和三年(1683)には僧位『法橋』に任ぜられて『法橋弘安斉寿命』と称した。二代藩主の徳川光友の差料御用を勤めた。以降、幕政時代をつうじて尾張徳川家の御用を勤めた名族鍛冶である。
 元来『寿命』は縁起の良い瑞祥銘で珍重された。
真鍮地横鑢はばき、白鞘付属
参考文献:石井昌国・本間薫山『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年