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刀剣徳川 Tokugawa Art
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O13232(W5079)
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脇指 銘 関住兼房作 附)黒石目地桐紋散蒔絵鞘呑込合口拵
古刀 室町時代後期(永禄頃/1558~) 美濃
刃長31.5cm 反り0.3cm 元幅29.3mm 重ね6.2mm
保存刀剣鑑定書
剣形:平造り、庵棟。身幅広く寸延びてやや先反りついた勇壮たる腰刀で物打ちのふくらが豊かにつく。(
刀身拡大写真
)
彫物:表は二筋樋を茎に掻流し、裏は棒樋を掻き流す。
地鉄:地鉄青くしずみ、板目肌練れて刃寄り柾目肌顕著に淡く白け映りがたち、肌目が潤う。
刃紋:低く焼きだして腰刃を焼いて、湾れに互の目、背の高い、腰が括れた頭の丸い丁子刃、所謂「兼房乱れ」を交え、諸処に尖り刃がある。刃縁に沸がよく付いて、乱れの谷には沸が凝り、刃中匂い深く、砂流し・沸筋が頻りと流れる。
帽子:乱れ込んで地蔵風となり小丸に突き上げて返りが深く棟を焼き下げる。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下がり。茎尻は刃上がりの栗尻。目釘孔二個。やや小降りの『関住』の駐鎚地に続いて大振りの三字銘『兼房作』がある。
兼房は室町時代にあって知名度が高く、特に「兼房乱(けんぼうみだれ)」という刃文を創りだしたことで知られ、永禄から天正にかけての作品を慧眼する機会がある。一門は関に住しているものと、神戸(安八郡神戸町)、尾張や信濃に出向したものもある。美濃善定派に属し、中世末期戦国時代の打刀の添え指しとして身幅廣く、重ねも厚くかつ寸も延びた強固な平造りの脇指は雄壮な姿をしており時代の求めを反映している。
表記の兼房は天文三年、「善斉兼房」の三男として岐阜に生まれ、京三郎と称し、後に「清左衛門」に改める。初銘は本作の『兼房』。岐阜から関に移って鍛刀し、のち「氏房」に改銘、永禄十三年四月十九日「左衛門少尉」に任ぜられ、三日後の四月二十二日には「若狭守」に転じた。織田信長のお抱え鍛冶となり、清洲、安土城下で鍛刀しており、天正十年六月信長が本能寺の変で自害の後は岐阜に里帰りし、織田信孝の扶帯で清洲城下に戻り作刀した。天正十八年五月十一日清洲にて没。享年五十七歳。
附)
黒石目地桐紋散蒔絵鞘呑込合口拵
(
表
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拡大写真/
裏
・拡大写真/
刀装具
各部写真)
鞘:黒石目地塗、桐紋散影蒔絵
呑込合口:同石目地塗、桐紋金蒔絵
頭:神代文字図、鉄地、金象眼
鐺:鉄地、桐紋唐草図、金象眼
目貫:能面図、骨、金蒔絵、金継
小柄:波に葵桐紋散図、赤銅地、金色絵、無銘
銀着時代庄内はばき、白鞘付属
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