A39464(W1805)

脇差 銘 大和守源康道

新刀 江戸時代前期(寛文頃/1661~) 尾張
刃長54.8cm 反り1.3cm 元幅33.7mm 先幅24.2cm 元重7.2mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。反り浅くつき、重ね厚く、平肉ついて手持ち重厚(588㌘/はばき除)。元の身幅広く元先の幅差さまで開かずに中峰のびる豪壮な体躯。(刀身拡大写真
鍛肌:小杢目肌が密に詰んだ精良な地鉄に鎬地はよく詰んだ柾目肌。平地は地沸が微塵について煌めき、小杢目状の地景が微塵に沸く。
刃紋:浅くのたれた長い焼きだしに、小錵出来の大互の目、箱刃、拳丁子、矢筈などの大乱れの焼刃高く華やかに、刃縁の錵は明るく冴えて刃中は柔らかな匂いを敷いて、互の目の沸足太く、、長く刃先に放射して砂流し掛かり沸匂の働きが豊か。
帽子:横手で互の目を焼いて直ぐに中丸となり返り深く焼き下げる。
茎:生ぶ、鑢目大筋違。目釘孔壱個。茎尻は刃上がり剣形。茎棟は小肉つき大筋違の鑢目がある。佩表の鎬地には『大和守源康道』の六字銘がある。

 『大和守源康道』は慶長初代『貴道』の庶子、名を『丹羽金左衛門』という。はじめ『源貴道』と銘をきる。のちに大阪『河内守康道』の門人となり、帰郷して五人扶持で尾張徳川家に召し上げられた。名古屋伊勢町に鞴を構え、『大和守』を受領し『康道』と改銘した。『尾張刀工譜』によると、寛文二・七・八・十一の年紀作があり、『以南蛮鉄作之』などと添銘したものがあるという。
 寛永から延宝年間は刀剣の需要が多く、特に武芸の盛んな尾張国では頑丈な造形のものが求められたため、身幅が広く、物打が張り中峰に結ぶ威風堂々たる体躯を保持して尾張武士委の大業物の貫禄を湛える。茎の鑢目、銘字の鏨が鮮明に保存されて地刃ともに冴える。
銀着せ二重尾張鑢、白鞘入
参考文献・資料:
岩田與 『尾張刀工譜』 名古屋市教育委員会、昭和59年3月31日