A29685(W3194)

脇差 銘 近江守藤原定広 以鉄錝造之 寛文九年二月日

新刀 江戸時代前期(寛文九年/1669) 尾張
刃長52.5cm 反り1.2cm 元幅32.2mm 先幅22.2mm 元重7.7mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く元先の幅差はさまにつかず頗る厚い重ねを保持して手持ち重厚(599㌘/はばき除)。頃合の中間反りがついて中峰延びる豪壮な体躯。(刀身拡大写真
鍛肌:杢目肌やや肌立ち鎬地は細やかな柾目。平地には地錵微塵について地景入る。
刃文:直ぐに長く焼きだし、匂い出来の複式尖り刃・互の目は箱がかり、表裏揃いごころの刃文。乱刃の谷には錵が凝り砂流しかかる。
帽子:横手下で互の目を焼いて、焼き高く直ぐとなり中丸に返る。
茎:生ぶ。鷹の羽の鑢目。目釘孔一個。茎尻は刃上り栗形張る。棟は平肉豊かにつき、此所には大筋違いの鑢目がある。佩表棟寄りには『近江守藤原定広』の長銘、平地には『以鉄錝造之』の切付がある。佩裏の鎬筋上には『寛文九年二月日』の制作年紀がある。
 『定広』は生国美濃、寛永頃(1624~)の初代は任官せず『尾州住人定広』などと銘をきるという。二代目の『定広』は名を『田辺伝右衛門』といい、名古屋城開府とともに父に伴い美濃から移住して名古屋久屋に鞴を構えた。寛文五年近江守を受領し、『近江守藤原定広』と銘を切る。
 寛永から延宝年間は刀剣の需要が多く、特に武芸の盛んな尾張国では頑丈な造形のものが求められたため、身幅が広く、物打が張り中峰に結ぶ威風堂々たる体躯を保持して尾張武士委の大業物の貫禄を湛える。茎の鑢目、銘字の鏨運が鮮明に保存されて地刃ともに冴える。
渡金二重はばき・白鞘入
参考文献・資料:
『尾張刀工譜』 名古屋市教育委員会、昭和59年3月31日