Y13167(T5017)

短刀 銘 直吉 文政四年正月日

新々刀 江戸時代後期(文政四年/1821)武州・尾張・三河
刃長27.4cm 無反り 元幅27.7mm 元重7.7mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:刃長九寸平造短刀。庵棟、身幅広く、重ね厚くつき無反り、重厚な手待ちで均整のとれた剣形。(刀身拡大写真
鍛肌:小板目肌よく詰んで地沸厚くつき地景はいる美麗な鍛肌。
刃紋:広直刃、小乱れ交え匂口締まりごころ。
帽子:表は中丸、裏は大丸となり返り深く棟に焼き下げる。
茎:生ぶ、目釘孔一個。刃上がり栗尻に結ぶ。大筋違に化粧鑢目、棟小肉つき此所にも大筋違の鑢目がある。表には『直吉』の二字銘、裏には『文政四年正月日』の制作年紀が刻されている。

 『直吉』、三品直道の子で幼名は『直次郎』、『直義』同人。因州寿実の門下。はじめ江戸根津に住み『三品十郎直吉』等と銘をきる。文政二年十月十七日に尾張徳川家より五人扶持で一代刀鍛治となり、同年五月に『十郎』と改名。天保三年一月二十三日には二人加扶持の俸禄を受け、『尾張国眠龍心直吉』等と鏨を運んだ。
 のちに大慶直胤門下となり、山口徹弥太若しくは胤弥太と称して鍛冶銘を『直義』と改めて三河挙母(現豊田市)二万石内藤氏の臣に転じて『泉心子』の号を冠し、『泉心子直義』と銘をきる。
 尾張黎明会には『尾張国住人直吉 文政十一年二月日』、犬山成瀬家には『三品源直吉 文政三年二月日』の作刀がある。
山銅地時代はばき、白鞘付属(佐藤寒山氏鞘書)
参考資料:
本間薫山、石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年