A4519(W2786)

脇指 銘 大和守吉道 附)鎌倉彫桐文散蒔絵鞘脇指拵

新刀 江戸時代前期 (万治頃/ 1658~) 摂津
刃長 42.7cm 反り 1.1cm 元幅 28.7mm 先幅 22.2mm 元厚 7.0mm

特別保存刀剣鑑定書

附)鎌倉彫桐文散蒔絵鞘脇指拵

 

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、元先の幅差さまに開かず深めの反りがつき中鋒延びる。手持ち重厚に、鎬筋高く重ね厚く強靭な造り込みをしている。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌に杢交え肌たちごころに流れ、地沸ついて地景かかる。
刃紋:元を焼き出して浅くのたれ、丁子刃、小互の目、拳丁子、足長丁子や濤瀾風の刃を交え、刃縁沸づいて足入り、刃中砂流し頻りとかかり簾刃風の沸筋がある。
帽子:直調に入って少し弯れ三品鋩子。
茎:生ぶ。両区深く、舟底風となり、茎尻は刃上がり入山形。鑢目は勝手下がり。刃棟ともに角。目釘孔一個。佩表にはやや小振りの五字銘『大和守吉道』鎬地よりに刻されている。
 大和守吉道は大阪初代『丹波守吉道』」の次男で名を三品宇左衛門という。万治・寛文頃の活躍期には、河内守国助、多々良長幸と共に『大阪丁子乱三名人』と称揚されている。 『大和守吉道七拾八歳造改 延宝三年二月吉日』の年紀作があることから長寿の刀工であった。父・兄の初・二代、大阪丹波守吉道や二代河内守国助との合作があり交流関係を覗い知ることが出来る。
 大和守吉道二代、三品伝右衛門は大坂錦町(大阪府北区錦町)に鞴を構え、播州姫路城主の本多家に仕えたことから『姫路大和』と称され、水戸光圀公の招聘で一時期水戸で駐鎚している。
 本作は小振りの鏨運びから初代の作刀であろう。重ねの厚い、しっかりした姿に匂本位の丁子乱れを焼いている。丹波守系は沸主調の相州伝を得意とし、大和守系は匂主調の備前伝を本伝としている。
 本作は河内守国助、多々良長幸と比較すると、刃縁の沸づきがより強く、砂流しが簾刃風に烈しくかかるところがあり、拳丁子や濤瀾風の刃を交えるなど一層華美で闊達な作域を呈して出来が良い。「上作鍛冶」、「懐宝剣尺」の「良業物」に指定されている。

附)鎌倉彫桐文散蒔絵鞘脇指拵 (拵全体写真 刀装具各部写真
  • 縁頭:桐文散図、鉄地、象嵌 銘 城州西陣住人 正阿弥政徳(花押)
  • 目貫:龍図、赤銅地、容彫、色絵
  • 鐔:桐紋散図、木瓜形、山銅地、石目地、両櫃孔、赤銅覆輪、無銘
  • 小柄:桐紋散図、赤銅魚子地、高彫、色絵、無銘
  • 鞘:鎌倉彫茶漆塗桐文散蒔絵、赤銅磨地桐紋散図栗形
  • 柄:白鮫着、納戸色常組糸諸撮菱巻
表は桐紋、裏は抱き柊に揚羽蝶紋を刻した時代金着せはばきが附されている。白鞘付属