場面(ばめん)派は、透鐔に一芸を工夫した序政(つねまさ)の出現で有名である。馬面は馬免の文字を充てることもあって、元来は兜の制作工や鍛冶屋集団で、その起源は戦国時代に遡り、越前国に在住した一族であった。馬面の名称は領主の本多家から与えられた苗字である。この家系は越前国丸岡町で幕末まで農具をはじめ、兜や鉄砲などの鍛冶関係の仕事に従事する者が多かった。
序政(つねまさ)は通称を市十郎。馬面という異色な苗字のために、旧来は馬面師の出身であると記す諸本があったが、師は金工の菊池序克であると考えられる。作域に共通点がないのは、序政が鉄を家業に育ったために、同時代の透かし鐔各派の工法を学んだからであり、『序』の字に観る書体は『序克』に近似している。
序政は寛保元年(1741)の生れで、文化の末~文政初年までの生存を確認出来る。下谷御徒士町に住した。
『馬面序政(花押)』と切羽台の左方に銘を切る。寛政五年、同十年、文化六年などの年紀があり、行年銘には六十八、七十、七十二、七十三、七十五歳などを実見する。地名を加えたものには『武州住人馬面序政』や『以南蛮鉄造之』の添銘がある。
鉄地丸形の鐔を陰陽透かして、図柄を影絵風に透かしする工法を得意としている。当時流行の透かし鐔流派としては、赤坂、赤尾、武州伊藤派などがあったが、それぞれの長所を採り入れて美的に昇華した陽透かし鐔の技法は、各派に大きな影響を与えている。
この鐔の地鉄の鍛錬は精美で、構図の意匠に優れ、七宝文の鋭利な鏨遣いの冴えは出色である。
江戸時代中期