Tuba3025a

二階菱分銅図透鐔

無銘  尾張

丸形、鉄地、地透、角耳小肉、両櫃孔

縦 70.3mm 横 70.0mm 重ね 6.6mm (切羽台) 6.4mm (耳)

 尾張地透鐔の初期ものは室町時代中期に興った平安城鍔(初期の京透鐔)と時代を同じくしている。円形のものが多く稀に木瓜形がある。現存するすべての尾張鐔は無銘とされている。
 刀匠鐔や甲冑師鐔にみるように板鐔に陰透をするのが通例であったが、平安城鐔や尾張鐔は文様を残して地を透かす陽透の手法を用いて大透となり、従来の作域とは大きくかけ離れた斬新な作風を創造した。所謂、本格的な透鐔のはじまりである。尾張古鐔の産地はおそらく清洲辺りで、山吉・信家・法安等の先駆をなすものであろう。
 江戸時代寛文頃になると福井次左衛門、戸田彦左衛門、桜山吉等の良工が出現して時流に乗り、さらには柳生鍔の全盛時代を経て尾張地透鐔の製作は次第に影を潜めることになる。
 初期の尾張鐔は角耳小肉で、後期の耳は太丸で重ね厚くなる傾向が見受けられよう。尾張鐔の透かしの構図は特徴があり、切羽台から主な構図を一種または二三種を交えて配するものや、左右対称に配する物などの手癖がある。陽透の文様を太く繋いで質実剛健で野趣に富む三河・尾張の武家好みの感が強い。切り立つ地透かしの谷は真っ直ぐとなり、鎚目の地は平面で肉彫りはない。幅広で天地の丸い小判形の切羽台は僅かに中低となるものが多い。地鉄の鍛えは頗るよろしく、紫錆の鉄味は殊に優れて尾張地鉄と呼ばれて称賛されている。角耳小肉の耳には鉄骨の出るものが多く、朴訥な構図に特徴があり重厚さのなかに武人の美的空間を演出して愛鐔家を魅了する醍醐味がある。

江戸時代前期