A68954(W2787)

脇指 無銘 兼房(切付銘)寛永十九年三月初五於武州 江城□脇毛深守土中五寸 石原小□彦成正(花押)附)篠笛刻潤塗鞘小さ刀拵

古刀 室町時代末期 (永禄頃/1558~) 美濃
刃長 39.2cm 反り 0.7cm 元幅 32.2mm 元厚 5.7mm

保存刀剣鑑定書

附)篠笛刻潤塗鞘小さ刀拵

 

剣形:平造り、庵棟。元身幅広く寸のびてふくら張り、先反りがつく段平物。(刀身拡大写真)
彫物:表裏には茎に掻き流しの棒樋の彫物がある。
鍛肌:地鉄やや青みがかり清み、板目肌詰んで刃寄り流れて柾がかる。
刃文:小沸出来の広狭ある大乱れは、刃縁に細やかな沸が締まりごころに積もり、腰括れの丁子『兼房乱れ』や矢筈、尖り刃や箱刃を交えて表裏揃いごころ。処々に飛焼交えて刃中は匂い充満して処々に互の目の太い沸足が凝り、小沸厚くついて柾目の鍛肌に呼応して砂流ししきりとかかり、太い金筋を交えるなど闊達な焼刃が複雑に乱れる。。
帽子:湾れ込んで中丸に深く返り、所謂地蔵風となる。
茎:生ぶ、目釘孔三個で栗尻に結ぶ。檜垣鑢、棟肉平。佩表の平地には『寛永十九年三月初五於武州 江城□脇毛深守土中五寸 石原小□彦成正(花押)』(注)の切付がある

 生茎の脇指には試し切り裁断銘『寛永十九年三月初五於武州江城□脇毛深守土中五寸石原小□彦成正(花押)』が刻されている(注)。南北朝期の相州物に私淑したものであろう。刃抜けの良さを念頭に、平肉を落とし棒樋を掻いて先反りをつける体躯は太刀の添指しとしての特別注文であろう。刃寄りを柾目鍛えとした裁断性能を高めて、室町時代後期、美濃刀に典型である『兼房乱れ』には砂流ししきりとかかり野趣溢れる。その特徴ある作風および茎の特徴から、室町時代後期の個銘『兼房』の作と鑑定された。
 兼房は室町期の美濃物にあって関七流中の善定派に属して名高い。特に『兼房乱』と呼称される刃文を創出して高名である。『日本刀銘鑑』によると、もっとも古い作例として『兼重の子、永享(1429-)頃』、『兼常門、嘉吉(1441-)頃』とある。年紀作としては文明元年紀より始まり、この作品を事実上の初代としている。文明十二年・十四年紀の兼房を二代、『校正古刀銘鑑』に記述されている大永七年紀の石見守清左衛門兼房を三代とし、永禄頃(1558-69)を四代、永禄・天正頃(1558-91)頃を五代と分類がなされている。同時代の兼房作品中には同工が最も得意とした『兼房乱』を焼くものが多く、ほかの関鍛冶たちも兼房に範をとったものがある。宗家以外にも兼房を名乗る刀工は神戸(安八郡神戸町)に住したものや、犬山城下で作刀したものがある。
 三代石見守清左衛門兼房の三男「河村京三郎」は天文三年(1534)、岐阜にて生まれ、後『若狭守氏房』を名乗り、尾張国清洲の城主、織田信長に仕えて抱鍛冶となっている。
附)篠笛刻潤塗鞘小さ刀拵(拵全体写真・/ /刀装具拡大写真
  • 縁頭:菊桐紋散図、朧銀地、鋤下彫、無銘
  • 目貫:桐紋二双図、銀地、容彫
  • 小柄:牡丹獅子図、赤銅魚子地、金据文象嵌、裏哺金、無銘
  • 鐔:桐紋散図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、金覆輪、無銘
  • 柄:白鮫着、赤黒色常組糸諸撮菱巻
時代山銅銀鍍二重はばき、時代白鞘付属
時代研ぎの為、処々にサビ、轢け跡があります。
(注)特定の日付(寛永十九年三月五日)を刻し、江戸城内において石原小□彦成正により試された裁断銘(脇毛部位守土中深五寸)がある。
(注)寛永十四年(1637)の島原の乱が勃発し、さらには寛永の大飢饉(1641~42)により餓死者は増大して江戸をはじめ三都への人口流入が発生して治安が悪化。また米不足による米価高騰に対応するため、大名の扶持米を江戸へ廻送させ、田畑永代売買禁止令を出した。
参考文献:
鈴木卓夫、杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 平成十八年
岩田 與『尾張刀工譜』 名古屋市教育委員会、昭和59年3月31日