T245414(S1496)

刀 銘 信濃守源信吉 附)黒呂色塗刻鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(承応頃~明暦三年/1644~57) 山城
刃長71.5cm 反り1.2cm 元幅31.2mm 元重6.8mm 先幅18.2mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒呂色塗刻鞘打刀拵

特別貴重刀装具認定書(鐔)

剣形:鎬造り、庵棟。刃長二尺三寸六分と寸のびて、元身幅が広く、元先の幅差ややついて頃合の反りがつき中峰に結ぶ明暦頃の姿。(刀身拡大写真) 彫物:樋先下がる棒樋の彫物は茎に掻き流す。 鍛肌:板目肌よく錬れて杢交え地沸厚くついて鍛肌に呼応する地景が縦横に織りなす。 刃紋:刃区を長く焼きだして、焼刃高く二つ三つと連ねた大互の目を湾れで繋いで、大房丁子や小尖り刃を交える。刃縁は細やかな粒子の沸が厚く積もり密集して明るく冴え、乱れの谷には砂流し長くかかる。
帽子:横手下で互の目を焼いて直ぐとなり、大丸に返る。
茎:生ぶ。鑢目大筋違いに化粧。目釘孔一個。茎尻は栗尻。棟小肉ついてここにも大筋違の鑢目がある。佩表の鎬筋上には大振り太鏨の力強い鏨運びで『信濃守源信吉』の六字銘がある。

 長めに直ぐの焼き出しに始まる刃文の焼刃は二つ・三つと連なって広狭変化して湾れで繋ぐ濤瀾刃。刃縁の細やかな沸は明るく煌めいて、刃中は砂流し頻りと流れて太い沸足を遮り金線の沸筋が流れる。
『日本刀銘鑑』によると、『信濃守信吉』は洛陽山城油小路住、名を高井金三郎という。伊賀守金道の一族で禁裏御用を勤めた『京五鍛冶』に列挙され(注)、初・二代あるという。藤原を名乗り『』の字を充てる初代と、娘婿であった二代は源姓に転じて『』で結ぶという(注)。

 濤瀾風の太乱れが冴えたこの刀に附された打刀拵は鞘尻を力強く張らせ、縁頭には艶やかな金色絵高彫の牡丹図、白鮫着の柄には漆黒赤銅容彫の獅子目貫金具で装じて金茶糸で巻き締め、肉彫豊かな大根図の薩摩金工鐔を装着。(打刀拵全体写真・/ /刀装具拡大写真
 内外ともに雅な山城の作風と武士達の気構えを具現する京五鍛冶信吉の優品である。
銀着一重はばき、白鞘付属
古研ぎのため処々に小錆があります
(注)『刀剣美術』(803/804号)によると、二代信吉は、初代『信吉』の嫡男(三代)が『信濃守』を任官するにあたり、明暦三年七月二十七日に『越前守』に転じて大阪に移住し茎に菊紋を刻すると論せられ、『信濃守源信吉』と『越前守源信吉』は同人説を唱えている。

(注)福永酔剣『日本刀大百科事典』によると、当初は伊賀守金道・近江守久道・丹波守吉道・粟田口近江守忠綱・信濃守信吉が『京五鍛冶』とされていて、忠綱と信吉が大阪に移住するにともなって、越中守正俊、和泉守来金道を編入したと記載。

参考文献:
小島つとむ氏 『刀剣美術』(803/804) 刀鍛治信吉の研究、令和五年12月同六年1月
福永酔剣 『日本刀大百科事典』雄山閣、平成五年11月20日