A18293(T3197)

短刀 銘 兼綱作 附)潤塗七五三刻鞘短刀拵

室町時代末期(天正頃/1573~)美濃
刃長29.4cm 無反り 元幅27.6mm 元重5.8mm

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附)潤塗七五三刻鞘短刀拵

 

剣形:平造、庵棟。九寸七分と大振りな短刀。無反り、元身幅広く元の重ね厚く均整のとれた剣形(刀身拡大写真
彫物:表裏には茎に掻きながす棒樋の彫物がある。
鍛肌:板目に杢目を交えて柾がかり、総体に肌立ち白けごころの映りがたつ。
刃紋:ごく短く焼きだして匂い出来の互の目丁子乱れに尖り刃を交える。焼刃広く表裏揃いごころ。
帽子:焼刃広くのたれ、地蔵風に先小丸となり深く焼き下げる。。
茎:生ぶ、目釘孔二個。刃区深く、茎尻の刃側を削いで舟底風となり栗尻に結ぶ。鑢目は檜垣で棟肉は平、此所には大筋違の鑢目がある。太く大振りの鏨運びで『兼綱作』の三字銘がある。

 関七流・徳永派『兼綱』の工銘は古くは室町期の宝徳頃(1452~)にその名が『日本刀銘鑑』に記載されている。文明元年(1469)、同十八年紀(1486)、『光山押形』所載の長享二年紀(1488)および明応五年紀作(1496)とつづき、以降『兼綱』の名跡は天正頃までを通じて繁栄した。
 天正頃の『兼綱』は、『兼本』の子とも伝えられ、のちに関から岐阜に移住して鞴を構え、『濃州岐阜住兼綱作』と鏨をきるものがあり、織田信長の拠点であった岐阜城下での作刀もある。
 天正の『兼綱』は刀の作例は少なく、平造の小脇指や短刀の比率が多いようである。身幅を広く薄刃に鋭く仕立てて広い焼刃の構成は実利を念頭に於いたこの短刀は太刀の添差しとして腰に備えられた。茎は刃長に比して短く拳に収まり、片手での操作に優れる。

附)潤塗七五三刻鞘短刀拵(拵拡大写真 /刀装具各部写真
  • 縁頭:放牛図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘
  • 鐔:牡丹唐草に鳳凰獅子・竜宮に鳳凰龍図、鉄磨地、金銀象嵌、無銘
  • 小柄:長柄銚子図、赤銅魚子地、高彫、無銘
  • 目貫:牛図、赤銅容彫、金色絵
  • 柄:白鮫着茶常組糸諸撮菱巻
銀着はばき、白鞘付属

参考資料:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版、平成二十年
鈴木卓夫、杉浦良幸『室町期美濃刀の研究』里文出版、平成十八年
得能一男編纂『美濃刀大鑑』刀剣研究連合会発行、昭和五十年十一月
本間薫山・石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年