A13103(S834)

刀 額銘 兼元 附)黒蝋色塗鞘天正打刀拵

古刀 室町時代後期(天文頃/1532~) 美濃
刃長 68.4cm 反り 1.5cm 元幅 31.5mm 先幅 26.1mm 元厚 6.2mm

保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘天正打刀拵

保存刀装具鑑定書(鐔)

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く元先の幅差さまに開かずに浅めの反りがついて大切先に結ぶ。(刀身拡大写真
地鉄:やや黒づんだ地鉄は板目に大杢交え、流れる肌を交えて総体肌立つ。刃区より白けた映りが地斑調につき、板目・杢目の鍛肌に沿った地景が顕れる。
刃紋:小沸主調の頭の丸い高低ある互の目を三つ連ねて三本杉調となり互の目の谷は刃先にかけだしごころとなる。
帽子:大切先の焼刃は広く湾れて地蔵風となり先小丸に返る。
茎:磨上げ、額銘『兼元』の二字銘がある。生ぶ茎部分は檜垣鑢。区送り部分には切鑢がある。目釘孔三個、茎尻切。
 『関の孫六』と尊称されいる二代目の兼元は兼定とならび美濃鍛冶を代表する鍛冶で、寛政九年(1797)に刊行された「懐宝剣尺」では「最上大業物」に指定され。同工は世に名高い正宗や『妖刀』で知られる村正と並んでもっとも親しまれた刀工の一人である。兼元の名は同銘数代続き新刀期まで及び、今日では技倆もっとも優れた二代を指して「孫六兼元」と汎称している。初代の兼元は文明から永正ごろとされ、三本杉風の刃文は希有であり、所詮三本杉状の互の目を創始したのは二代の兼元であろう。
  この打刀は天文から永禄頃(1532~69)にかけての孫六兼元門下の作刀と推量されよう。戦国時代、実利を重んじた高位の武士達に愛用された豪壮長大な打刀は、物打ち辺り強く張り殊の外大峰に結ぶ。鎬筋を高く棟寄りの肉を削いで刃抜けを良くした体躯は最上大業物に位列される所以でもある。元寸が二尺四寸五分におよぶ打刀は二寸ほど区送り磨上げられ、取りはずされた『兼元』の二字銘を惜んで額銘として遺された『兼元』銘は、孫六一門の特徴的な鏨運びが観取され、生ぶ茎部分は鷹の羽鑢は明瞭。戦国時代の合戦を駆け抜けた武士達に愛用され、五百有余年におよび愛蔵された遺例稀な優刀である。

附)黒蝋色塗鞘天正打刀拵拵全体写真刀装具各部拡大写真
  • 縁頭:縁赤銅磨地・頭角所
  • 笄:蜜柑図 赤銅魚子地 高彫 袋着金色絵
  • 鐔:枝菊透図 丸形 鉄磨地 陰透 土手耳小肉 金銀銅象嵌 両櫃孔 無銘 京正阿弥(保存刀装具
  • 目貫:芥子図 赤銅容彫金色絵
  • 柄:黒漆塗鮫着 納戸色常組糸諸撮菱巻
山銅地腰祐乗鑢はばき、白鞘付属
参考文献:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 平成二十年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀の研究』里文出版 平成十八年
※秀吉は諸将に下賜する刀として兼元を採り上げ、青木一重佩刀の『青木兼元』をはじめ福島正則や山之内一豊が兼元を下賜され愛用した。また前田家伝来の『二念仏兼元』や亀山藩主石川家伝来の『地蔵切り兼元』など切れ味の良さを物語る逸話がある。
※二代とされる兼元の刃文は沸主調で尖りごころの互の目の角度に変化があり頭が処々丸みを帯び、互の目の谷に延びる足は刃先にかけだし風の気配をみせるところがあり、処々に三本杉風になるところがあるなど画一的な刃文にならないのが特徴とされ、刃中は砂流しや金線はいるなど総体に素朴で野趣に富んだ様相を示す。後代の兼元は匂い本位の尖り刃が三つずつ規則的に並び所謂、真の三本杉を形成しているのが特徴とされている。
※二代兼元の製作期間は大永・享禄(1521-31)頃を中心として天文頃(1554)までと考察されている。鷹の羽の鑢目や入山形の茎尻を形成する特徴から関出自説が有力視されている。所謂、関出身の初・二代の兼元は良質の赤鉄鋼を需めて赤坂の地へと出向して制作し、二代の後年、永正二十年頃に望郷の地である関へと来郷したとの説である。
※二代とされる兼元の銘は闊達かつ堂々としたもので、初代に比して総体に大振りで「兼」の肩がやや角張り「元」は第一画を右から左へほぼ横向きに切り、第三画の跳ね部分に打ち鏨を打ち、四画目は少し下方から切り始める。