M24743(S231)

刀 銘 尾張国勝重 附)黒漆塗千段刻鞘打刀拵

新々刀 江戸時代末期(慶應頃/1865~) 尾張
刃長 69.8cm 反り 1.1cm 元幅 33.0mm 先幅 23.1mm 元厚 7.7mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒漆塗千段刻鞘打刀拵

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く重ね頗る厚くついて浅めの反りが付き、元先の幅差さまでつかずに大峰に結ぶ豪壮な体躯。鎬筋高く、鎬地に比して平地広い造り込み。はばきを含む刀身重量は935㌘あり、どっしりと重量がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌流れて杢を交えて肌立ち、鉄色やや黒づんで地錵がつき、太い地景が湧き出す強い肌合いを呈して力強い。
刃紋:沸出来の大湾れに互の目・小丁子、尖り刃を交え、処々棟焼きがある。刃縁にはやや粗めの沸が凝り、沸厚くついてここに金線かかり、砂流し流れて刃縁明るく冴える。刃中は匂い深く充満して処々に葉が浮かび、小互の目の沸足が明るい閃光を放ち刃先に向かって放射している。
帽子:焼高く、強く乱れ込んで火炎風に強く掃きかけて返り深く棟焼きに繋がる。
中心:生ぶ。長めの茎は刃側を舟底風におろして刃上がり栗尻に結ぶ。鑢目は大筋違に化粧鑢、棟小肉つきここにも大筋違の鑢目と切化粧鑢がある。茎孔壱個。佩表の目釘上方鎬筋上には大振りの駐鎚地『尾張国』、目釘穴をはさんだ平地には『勝重』の刀工銘が刻されている。

 寛文頃(1661-)の勝重初代は伊勢桑名に住した千子正重派の刀工。のちに尾張関鍛冶町(現、中区丸の内丁目)に移住して三河守を任官した尾張刀工で業物として周知された。
 幕末頃の同派の勝重は名を『片山彦一郎』と云い、『尾張国知多郡人片山勝重』などと銘をきる作刀があることから尾州知多郡にても駐鎚したことがわかる。元治元年、二年および慶應年間を通じての年紀作があり、いずれの作刀も尊王攘夷の思潮を反映し、勤王志士らが挙って需めた豪壮華麗な造り込みが特徴である。『ねる』と縁起がよい刀工銘であることから武士達に重用されたという。
 本作は重ねが厚く平肉がつきどっしりと手持ち重く業物の貫禄充分。頗る健全な体躯を保持して相州伝の自由闊達な焼刃が賞揚され『特別保存刀剣』に指定された。往年の上出来な打刀拵が附帯しており、勤王志士の特別な需めによる内外完存の尚武の気風を今に伝える優品である。

附)黒漆塗千段刻鞘打刀拵拵全体写真 拵全体写真 刀装具拡大写真
  • 縁頭:瓢箪図、赤銅石目地、高彫、色絵、無銘
  • 目貫:柊図、赤銅地、容彫、金色絵
  • 鐔:花弁透図、鉄地、丸形、地透、無銘、尾張
  • 鞘:黒漆塗千段刻
  • 柄:白鮫着、金茶色常組糸諸摘菱巻
時代素銅腰祐乗鑢一重はばき、白鞘付属
参考文献:
岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年