H124641(S2225) 刀 銘 因幡国住藤原兼先 | 特別保存刀剣 | |
新刀 江戸時代前期 (寛文・延宝頃/1661~)因幡 刃長 62.6cm 反り 1.8cm 元幅 31.1mm 先幅 20.6mm 元重 7.4mm |
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剣形:鎬造り、庵棟。厚い重ねに、刃区深く身幅たっぷりと豊満な平肉がつく。腰元下半にやや深めの反りがついて、元先の幅差さまに開かずに中峰のびる。(刀身全体写真) 鍛肌:小板目肌清涼によく詰んで細やかな地景を織りなして冴え、鎬地柾目。 刃文:匂口締まる焼刃の高い大互の目、丁子刃・尖り刃は処々逆がかり、蟹の爪や矢筈刃を交えて処々に飛び焼きがかかり、多彩に乱れて変化に富んでいる。刃中には明るい沸足が射して谷に沸が凝りここに砂流しかかる。 帽子:焼刃高く乱れ込んで大丸となり、返り深く断続的な棟焼きに繋がる。 中心:生ぶ。目釘穴一個。刃上がり栗尻張る。鑢目は鷹の羽。棟肉ついてここには大筋違の鑢目がある。佩表の鎬筋上に『因幡国住藤原兼先』の長銘がある。 『兼先』は古刀期の文禄頃に美濃関鍛冶の『日置伊助』が実子『日置惣右衛門』(初代新刀兼先)を伴い備前岡山に来住し鞴を構えた。 寛永九年(1632)、『日置九郎右衛門』(二代兼先)は岡山藩主「池田忠雄」の死去に際して嫡男の「池田光仲」が因幡への移封するのに随って鳥取鍛冶町に移り屋敷を拝領し、以降八代まで国持大名である三十二万石因幡池田家に仕え藩候の需に応じ鍛刀に励んでいる。 この刀は新刀因幡兼先三代目に当たる『日置兵右衛門』の作刀で寛文~延宝頃の作刀。家督前の初銘は『兼次』と名乗った。 同工の作刀は来写しの上品な直刃を焼いた山城伝の作品があり、一方この作刀のように焼刃高く、鎬筋にかからんとする多彩な大互の目を焼いて、祐定の蟹の爪や矢筈や耳形・飛焼を配し絢爛に乱舞する個性豊かな備前伝の、とりわけ末備前の作風を採りいれた斬新な作風を魅せている。 山銅地時代二重はばき、新作白鞘付属 |
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