F2990(S8878) 刀 金象眼 面影 銘 長州住源正氏作
享保十三年二月吉日
附)青貝微塵塗鞘這龍図打刀拵
特別保存刀剣
新刀 (江戸時代中期 享保十三年/1728年) 長門
刃長70.0cm 反り1.2cm 元幅31.6mm 元厚7.0mm 先幅23.5mm
日本美術刀剣保存協会「防長刀工押型集」所載
剣形:鎬造り、庵棟、身幅広く、反りやや浅めに均整とれ、先幅張り、中切先延びる。表裏に広く、深い棒樋を掻通す。(刀身拡大写真
鍛肌:大杢目肌良く練れて詰み、綾杉状にうねり湧き出す所詮「則重肌」。地沸付いて地景が清涼に沸きだる肌目が美しい。
刃紋:互の目に丁子刃を交え、刃縁に小沸絡み、金線がかかり、刃中は霞みだつ匂い充満して明るく冴え出色の出来。
中心:茎生ぶ、茎尻刃上がり入山形。茎孔壱個、鑢目は大筋違い。佩表平地に長銘「長州住源正氏作」、目釘孔上に金象眼「面影」注)、裏には年紀「享保十三年二月吉日」とある。
帽子:表は乱れ込んで一枚風となり裏は湾れ調にに掃きかける
長州の正氏は名を六兵衛、「長州萩住石道藤原正氏」と銘する刀が現存し、江戸石堂一派に属する。七兵衛と称する正守とともに兄弟で鍛刀に励み、江戸から毛利家長州藩士の求めに応じ来往したと考えられる。消失した来国行の古作「面影」を偲んでの号を金象眼で顕わした長州正氏畢生の傑作である。
附帯の青貝微塵散鞘打刀拵は這龍を総金具赤銅魚子地、高彫金色絵で力強く表出した上出来かつ状態の良い打刀拵で、内外ともに完存する希有の打刀。
金渡金二重はばき、白鞘付属
注) 面影 (おもかげ)
長崎為基→豊臣秀吉→豊臣秀次→木村重茲→池田輝政→池田忠雄→池田吉泰 所用

来国行三尺三寸の大太刀。もとは北条高時の武将長崎為基の佩刀。豊臣秀吉が入手して関白秀次に譲り、秀次が重臣の木村重茲に与えた。刀身に顔がはっきりと写ることから面影と名付けられた。秀次が自尽したとき、重茲は懐妊していた妻に「生まれた子が男児ならばこの刀を与えよ」と言い残して追い腹を切ったという。この子が木村重成という説があるが、重成がこの刀を佩いていた記録はなく、江戸初期には池田輝政が所有した。輝正の三男・池田忠雄は自身の指料にするため寛永(1624)の頃に磨上げた。さらには因幡国鳥取藩主・池田吉泰の手中にあったが享保五年(1720)鳥取城が焼失時に焼身となったが、幕府お抱え研師・角野寿見に研ぎ上げられるものの、再度焼失で姿を消した。