E33960(S1512) 刀 無銘 西蓮 第二十六回重要刀剣
古刀 鎌倉時代後期 (正応〜文保/1288-1318頃) 筑前
刃長67.4cm 反り2.0cm 元幅27.9mm 元厚6.0mm 先幅18.0mm
剣形:鎬造、丸棟、大磨上。元来腰反り高く踏ん張りのある太刀で中鋒詰まる。表裏には樋先の上がった両チリの深い棒樋を掻き流す。(刀身拡大写真
鍛肌:鍛杢目・板目・流れ肌が目立ち、地景入り、地沸よく付いて総体に白け立つ気配があり古雅な様相がある。
刃文:匂深く霞かかり、潤みがちに小沸がよくついた様相で、小乱れ・小互の目を交える。刃縁にはほつれ刃、二重・三重刃ごころがあり、刃中には砂流し・金筋が賑々しく入る。
帽子:中鋒やや詰まり、焼刃は頻りに掃きかけ、表焼詰めごころとなり、裏は尖る気配がある。
茎:大磨上、無銘。目釘孔二個。茎にもやや反りがあり、棒樋の掻流し跡がある。鑢目は大筋違、茎尻は切。大磨上の年代は江戸時代初期を下らないであろう。
 九州地方は古代より玄界灘を隔てた大陸と我が国との貿易や外交の窓口であり、かつ国防の第一線として非常に重要視されてきた。天平15年(743)、太宰府には鎮西府が設けられ中央政府から武人が防人として派遣されていた。同地域は外交、貿易の拠点だけでなく、国防の必要性から鍛冶の発生は最も古い地方の一つとみなされている。
 筑前国は古刀期には左文字系と金剛兵衛系の二系統が存在している。高名な刀工である初代左文字の系統である『良西』→『入西』→『西蓮』→『実阿』→『大左』らは血縁関係を保ち、修験者として僧籍をもった鍛冶達である。
 鎌倉後期、筑前の刀工、西蓮は良西の子で入西の兄にあたる。初銘を『国吉』、筑前博多善導寺の門徒となり、法師・入道後は僧匠として『西蓮』と名乗っている。『光山押形』には『筑前国博多談議所国吉法師西蓮 文保元年二月』と銘のある太刀が所載されており、これによって国吉と西蓮は同一人物であることが判る。同工の作刀中、現存する銘文は二字銘『国吉』の他に、『談議所国吉』、『談議所西蓮』などがあり、『鎮西談議所』(裁判所兼役場)に勤めた刀工であることが判る。往時は蒙古襲来の文永・弘安両役の国難の前後であり善導寺の鎮西談議所に所属する僧刀匠として武人達の要望に沿って鍛刀していたと思われる。
 九州古作の作風は所詮、鎌倉前中期に盛行をみた大和鍛冶の源流の特徴を観取することができるものの、地鉄はやや黒味を帯びてネットリとして柔らかく、かつ潤いがある。刃文は直刃がほつれながらも、匂い口がうるむ気配があるなど、古雅溢れ且つ野趣があるなどの伝統保守的な作風が一般的である。
 本作は同工の特徴がよく示されていることから『西蓮』の極めは正に妥当である。地刃共に健体で保存状態も頗るよく同作中でも出色の出来である。葵紋二重はばき(下貝銀地に金着・上貝金地)、白鞘入り
本刀は第二十六回重要刀剣に指定され、本間順治 『鑑刀日々抄 』 大塚工藝社 昭和五十四年、所載の一口である。
参考文献 :本間順治 佐藤貫一 『日本刀大鑑・古刀篇三』 大塚工藝社 昭和四十四年


 ホームに戻る