A659(S1303) 刀 銘 高田盛次作
附)黒蝋色塗鞘打刀拵
保存刀剣
古刀 室町時代後期 (天文頃/1532~54) 豊後
刃長 66.6cm 反り 2.0cm 元幅 29.9mm 先幅 25.0mm 元重 8.1mm
剣形:鎬造、庵棟。元重ね厚くついて寸に比して元身幅広く、元先の幅差さまで開かずに物打ち張り大切先に結ぶ。やや深い先反りがついて鎬地を棟に向かって肉を削ぎ落とす豪壮な造り込み。表裏には腰樋の彫物がある。(刀身拡大写真
彫物:表裏共に腰樋を茎に掻流す。
鍛肌:板目肌に杢交え、刃寄り流れて総体に肌立つ。湯走り状の地沸が厚くついて太い地景が入る。
刃紋:腰元は沸出来の湾れに小互の目・尖り刃・小丁子を交えて処々うちのけ・飛焼があり、物打ち上半は匂口締まる自由闊達変化に富んだ焼刃。刃中の匂い深く、処々よく沸づいて刃沸が葉状に列なって浮かび明るく冴える。
帽子:互の目乱れこんで焼き高く火炎風に掃きかけて小丸に返る。
茎:茎尻摘まんで僅かに区を送り茎尻は切。目釘孔三個。浅い勝手下がりの鑢目、棟肉平でここには大筋違の鑢がある。

 豊後国には鎌倉時代初期に定秀・行平の名工が興き、南北朝時代には同国高田の地に友行が出現して豊後国『古高田』の始祖として名高い。文明二年(1470)に大山祇神社に奉納された国宝の大太刀 無銘 伝豊後友行 附)野太刀拵をはじめ重要文化財、重要美術品を含め五口の国指定品がある。友行の門人である重行の子、長盛の代より藤原姓を改め、平姓を名乗ったことから室町時代の作品は『平高田』もしくは『末高田』と呼称している。
 戦国時代末期になると豊後高田の地は大友氏の庇護を受けて備前、美濃と比肩する最盛期を迎えて利刀を鍛えた。 高田鍛冶は古刀期より盛んに他伝を採り入れたために作域が広く、斬れ味に優れたことから武士の好尚に乗じて大いに繁盛し業物として称賛された。 
 『日本刀銘鑑』に拠ると、『盛次』は天文頃(1532~54)を活躍期とし『豊州高田平盛次』、『平盛次』などと銘を切るという。威風堂々としたこの大切先に結ぶこの刀は鎬地を棟に向かって削ぎ落とて刃抜け良好な実利を重用した姿は南北朝時代の大太刀を擦り上げた姿格好をしている。先反りがやや強くついた体躯は素早い抜刀を念頭に於いたからであろう。物打ちの身幅も尚広く大切先の焼刃広く・強い健全な打刀。

附)黒蝋色塗鞘打刀拵 (打刀拵全体写真・ / 刀装具各部写真
  • 縁頭:雲龍図、赤銅魚子地、高彫金色絵、無銘
  • 目貫:這龍図、赤銅地、色絵
  • 鐔:若松図、木瓜形、鉄地、真鍮象嵌、無銘、平安城
  • 柄:白鮫着、納戸色常組糸諸撮巻
銀着一重はばき、白鞘入り
参考文献:
石井昌國・本間薫山『日本刀銘鑑』、雄山閣、昭和五十年
 
刀 銘 高田盛次作 附)黒蝋色塗鞘打刀拵
刀 銘 高田盛次作 附)黒蝋色塗鞘打刀拵
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