K73649(T3658)

短刀 銘 兼延

古刀 室町時代中期(明応頃/1491~)尾張
刃長 24.9cm 内反り 元幅 22.8mm 元厚 6.5mm

特別保存刀剣鑑定書

 

剣形:平造り、庵棟高めに尋常な身幅。筍状内反りに、ふくら枯れごころの古調な姿。(刀身拡大写真
鍛肌:板目に杢目を交えて刃寄り柾調に総じてつみ、微細な地沸ついて地景躍動する強靭な鍛肌。
刃紋:浅く湾れ、腰開いた互の目が連なり沸主調の刃縁にほつれ掛かり、砂流し、沸筋、金線が走る。
帽子:帽子の焼刃は強く、烈しく乱れて跳び焼きを交え皆焼がかり、先火炎風に突き上げて返り深くここに互の目がある。
中心:生ぶ。檜垣の鑢目、刃上がり栗尻張る。目釘孔一個。棟には小肉つく。佩表目釘孔上方棟寄りには古雅な鏨運びで深く切り付けられた二字銘『兼延』がある。
 『兼延』は銘鑑よると、直江志津一門として応安頃(1368~)にその工銘が見られる。同派は南北朝統一の需要の低迷による衰退や度重なる河川の氾濫により、直江の地を離れて関や赤坂の地に移住したという。
 室町期、明応頃(1492~)の『兼延』は小山(美濃加茂市下米田町小山)に住した『兼存』の子と伝えられ、のちに尾張の地に移住して尾張鍛冶の礎を築いたという。この一派は、志賀(現名古屋市北区金城町)の地や北方の山田町(西春日井郡山田村)に住したことから、『志賀関』もしくは『山田関』と呼称されている。同派には『兼延』をはじめ、『兼次』、『国次』等がいるが、慧眼する同派の作品の多くは明応頃の『兼延』でまま『兼次』の作刀がある。
  この『兼延』短刀は筍状内反りの刺突に長じた鋭利な体躯を有して打刀の添指として重用されたのであろう。深淵より湧き出す板目・杢目に刃寄りに柾を交えた青黒く沈む鍛肌は、地沸を敷いて太い地景が縦横に織りなす強靭な地鉄を呈し、帽子の焼刃は更に強く烈しく乱れ込んで返り深く焼き下げる強靱な焼刃の構成はで覇気に満ち溢れている。地刃の保存も頗る良好で健全な優品として称揚される。

金着二重はばき、白鞘入り。
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑・古刀篇三』大塚工芸社、昭和四十四年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期 美濃刀工の研究』株式会社里文出版、平成十八年