F2339(S1495)

刀 無銘 直江志津

古刀 南北朝時代(応安頃/1368~)美濃
刃長63.7cm 反り1.5cm 元幅30.0mm 先幅22.6mm 元厚6.4mm

特別保存刀剣鑑定書

本阿弥光遜折紙

剣形:鎬造り、庵棟。身幅尋常にやや浅めの重ね、平肉ついて重厚な手持ち。浅めの反りがつき、元先の身幅の差があまり開かずに大峰に結ぶ豪壮な体躯。(刀身拡大写真
彫物:表には樋先の下がった二筋樋の彫物が掻き通し、裏は同じく二筋樋を茎に掻き流す。
鍛肌:地肌は板目肌が詰んで刃寄り柾ごころ。平地は地沸を厚く敷いて地景が入り沸映りがたつ。
刃紋:沸本位の湾れに大互の目を交え焼刃高く、跳び焼き湯走りはいり賑やか。刃縁に沸厚くついて金筋、稲妻・砂流しかかり頗る明るく冴える。
中心:大磨上無銘。鑢目は切。茎尻切。目釘孔三個。
帽子:焼刃高く、強く乱れ込んで掃き掛けごころ。

 志津三郎兼氏門には『兼友』、『兼次』、『兼信』、『兼延』等の高弟が輩出して直江の地岐阜県養老郡養老町直江山鳥)で活躍した故に『直江志津』と呼称している。
同派は大和伝に相州伝を加味して所謂、『美濃伝』を完成させた。刀は概して長寸で反りが浅く、焼刃は沸本位の焼刃広い湾れ乱れや互の目に尖りごころを交えるなど覇気に富んだ上作鍛冶で優作を創出して誉れ高い。
 本作は大磨上げながらも直江志津の作風を明示し、南北朝盛期の威風堂々たる体躯を湛えた地刃ともに健全な優作。迫力ある大鋒が往時の豪壮な姿を彷彿させ、樋先の下がった二筋樋は南北朝時代盛期の特長を有している。深淵より湧き出す板目鍛えの地鉄は地沸を厚く微塵に敷いて、地景が縦横無尽に織りなす強靭な地鉄鍛は格調高い。焼刃の高い刃文は、湾れに大互の目の焼刃は広狭変化して処々跳び焼きを交えて変化に富み、刃縁の沸厚く微塵について刃中に金筋などの沸筋が頻りとかかり、匂口が殊に明るく冴え覇気に富んでいる。本阿弥光遜折紙が附されており代々温存されてきたことが伺える。
金地二重はばき、白鞘入り
(注)南北朝統一による需要の低迷により、室町期の後代直江志津一門はしだいに衰退し、度重なる河川の氾濫により関や赤坂の地に移住をしたという。明応頃(1492~)の小山に住した同派の『兼延』はのちに尾張志賀(現名古屋市北区金城町)に移住したので同派は『志賀関』と呼称されている。