A18293(T3197)

短刀 銘 兼綱作

古刀 室町時代後期(天文頃/1532~) 美濃
刃長 29.4cm 反り 0.1cm 元幅 27.5mm 元厚 5.8mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:平造り、庵棟。寸延びて身幅広くふくら豊か。僅かに反りがつく。表裏には茎に掻流しの棒樋の彫物がある。(刀身全体写真
鍛肌:やや肌たちごころの板目肌鍛えの地鉄は刃寄りに流れる肌合いを交える。平地には地錵がつき地景入る。
刃文:鎺上に腰刃を焼き、湾れに腰括れの丁子刃、複式互の目、箱刃、尖り刃などを交え、表裏の刃は揃いごころ。刃縁は厚く錵づいて乱れの谷にが錵が厚く積もり、刃中砂流しかかり、互の目の沸足が刃先に放射する。総体に広狭変化を交えて焼刃広く、賑々しく地刃ともに明るく冴える。
帽子:表裏とも焼刃高く湾れて地蔵風に小丸となり返り深く焼き下げる。
中心:生ぶ茎。茎尻は栗尻張る。鑢目は檜垣。棟肉平で大筋違の鑢目。目釘孔弐個。指表の棟寄りには鋭い鏨運びで大振りの独特の字体『兼綱作』の三字銘がある。

 『兼綱』の出自については関七流中『徳永派』の刀工で、宝徳頃(1449~)の『兼綱』は事実上の初代とされる。年紀作資料の不足により定かではないが、文明頃(1469~)の二代、永正頃(1504~)の三代、天文~弘治頃(1532~57)の四代、さらには天正頃(1573~)の五代と名跡を継いでいる。天正頃(1573~)の 『兼綱』は、織田信長の岐阜城下でも駐鎚した。
 現存する『兼綱』銘作刀の多くは天文~弘治頃(1532~57)にかけてのもので、銘鑑によると天文十四・弘治二の年紀を有する優品が遺されている。表裏揃った互の目に箱刃を焼き、帽子は乱れ込んで地蔵風となる。 鑢目については、本造りの刀や脇差は鷹の羽で平造りの短刀は檜垣鑢。
  この短刀は打刀の添指として常用されたのであろう。量感豊かな体躯には焼刃が表裏揃いごころのなる美濃伝の特徴を有し、強く錵づいた刃縁の様相は当時の為政者や勇猛果敢な武将達の婆娑羅の機運と嗜好にもっとも合致しており、美濃相州伝上位作の同工始祖である直江志津あたりの作域を念頭に於いたものであろう。
 五百有余年の年月を経て至高の錆味を有する茎には関伝特有の檜垣鑢に古雅な鏨運びで刻された明瞭な三字銘を有する優品である。
 古研ぎのため平地には僅かな轢跡があります。
銀着せはばき、白鞘入
参考文献:
得能一男『美濃刀大鑑』大塚巧藝社、昭和五十年
鈴木卓夫 杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 平成十八年
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 平成二十年
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年