Y20673(S8102)

刀 銘 濃州神戸住兼信作

新刀 江戸時代初期(寛永頃・1624~) 美濃
刃長 75.1cm 反り 2.0cm 元幅 29.9mm 先幅 20.1mm 元厚 7.9mm
保存刀剣鑑定書

剣形:鎬造り、庵棟。身幅尋常に重ね厚く、頃合いの中間反りがつく。元先の身幅の差が頃合いにつき中峰に結ぶ調和のとれた姿。表裏には樋先の下がった片チリの棒樋がある。(刀身拡大写真
鍛肌:地肌は板目肌が流れて柾がかりやや白けごころ。
刃紋:小沸出来の湾れを基調に小互の目・尖り刃三本杉調となる。処々二重刃ごころ。刃中に足入り、葉浮かび、砂流しかかる。
中心:生ぶ。大筋違の鑢目(注)。刃上がりの栗尻。目釘孔一個。目釘孔下方の鎬地上に鍛刀地を添えた長銘『濃州神戸住兼信作』がある。
帽子:乱れ込んで先掃きかけて尖りやや深く留まる。

 直江志津『兼信』の工銘は室町時代になると善定派に受け継がれて関や赤坂の地へ移住したという。新刀期、寛永頃になると田代源一郎兼信が名声を得た。寛文頃の『大和守兼信』に続き、さらには関では元禄頃の『陸奥守兼信』の活躍もある。
 表題の作者は江戸時代初期寛永頃、揖斐川右岸の神戸(現在の岐阜県安八郡神戸)の地で鞴を構えた田代源一郎兼信の作刀。二尺四寸八分半とすらりと寸が伸びて重ね厚く鎬筋が高い頑強な体躯に棒樋を掻いて重量の軽減を図り操作性を高めている。孫六兼元伝の三本杉乱れに刃中に匂を敷いて刃縁の小沸を交えて抑揚変化のある複式互の目の焼刃は明るい。急角度の大筋違鑢目鮮明に、鏨枕明瞭な元姿を留め『神戸』の居住地を添えた新刀初代、田代源一兼信の優刀である。
金着腰祐乗鑢はばき、白鞘入(佐藤寒山氏鞘書・昭和辛亥年春吉日/1971)
注)『兼信』の関での駐鞴作刀は鷹の羽鑢を施すようである。
参考資料:本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年