Y15155(Y1523) 牛角十文字槍
銘 宝珠源朝臣正光作
文化乙亥歳十月吉日 公加元服使余
執三祝礼敬献之護以 奉賀隆就拝首
手槍柄拵入・附)蔵休鞘一口、替鞘二口
特別貴重刀剣認定書
新々刀 江戸時代後期(文化十二年・1815年) 摂津
刃長16.2cm 元幅12.4cm 茎長35.1cm 総長51.3cm
槍拵総長114cm
剣形:牛角十文字槍。けら首が短く、両端が牛角尖り、鎬筋高く、重ねが厚い。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌よく詰んで地錵付冴える。
刃紋:直刃、小錵厚く付いて金筋入り、ほつれるところがあり、匂い深く、明るく冴える。
帽子:直ぐに小丸。
茎:生ぶ。表の鑢目上部は切、以下はせんすき。裏の鑢目はせんすきとなる。棟角。茎尻は剣形。目釘孔二個。目釘孔上方に長銘で『宝珠源朝臣正光作』と銘がある。裏には『文化乙亥歳十月吉日』の年紀、さらには『公加元服使余 執三祝礼敬献之護以 奉賀隆就拝首』の為銘がある。
 源朝臣正次は 「和泉加賀四郎正清」の子、本国備前。播磨に赴き尾崎助隆門の岡本安儔の門で学び、後に「水心子正秀」門人となる。摂津、紀州、水戸、江戸にて作刀している。初銘「正次」、のち「正光」と改めた。大和介受領後は菊紋を刻して源朝臣を冠した切銘を多くみる。 天保8年(1837)、天保の飢饉の折に江戸幕府に反乱して出兵、大坂城を急襲した大阪町奉行所の与力、大塩平八郎の差料は菊紋の刻された正光の刀であったと伝えられている。天保四・八・九年の年紀作を見る。
 本作は文化乙亥歳(1815)の年紀があり、源朝臣を冠することから大和介受領後の作品とおもわれる。奉納槍のため『大和介』の受領名を省き、吉祥銘である『宝珠』を冠しているのも珍しい。奉納当主の隆就が、文化十二年(1815)、娘公加の元服を祝賀して、さらには婚礼・子孫繁栄を祈念して特別注文した上出来の十文字槍である。さらに附帯の手槍柄には献上時の鞘二口と保管用脚付立休鞘が一口付属している。大和介源朝臣正光の槍は希珍で、ことさらに十文字槍は希有である。『宝珠』を冠して、且つ年紀と献上為銘を切るなど入念作であり出来が良い。元姿を留める名槍である。
研磨状態:古研/保存状態:良好