T279912(T5948) 短刀 銘 兼定 附)黒石目地塗鞘短刀拵 特別保存刀剣
古刀 室町時代後期 (明応頃/1492~1500)  美濃
刃長 23.2cm 筍反り 元幅 22.5mm 重ね 5.3mm
剣形:平造り、三つ棟。身幅重ねとも尋常に内反りごころ。ふくらが張り、先重ねのやや薄い造り込みで気品のある造り込みをしている。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌に杢交えよく錬れて地沸つく。湯走り状に沸映りたち、地景入り地鉄の鍛肌強く冴える。
刃文:刃区ごく短く焼落としごころとなり、直刃は僅かに湾れて刃縁に良質の小沸が厚く微塵に積もり、刃中の沸・匂充満して明るく冴える。
帽子:刃縁の小沸さらに厚くついて冴え、先やや掃きかけごころとなり中丸となり上品に返る。
茎:生ぶ、目釘孔壱個。刃上がりの浅い栗尻。檜垣の鑢目、棟小肉付く。佩表のやや下方に二字銘で『兼定』とある。
 室町時代、永正頃(1504~20)を中心とする時期は、土岐氏の衰退による守護代斉藤氏の台頭により、美濃国の刀工群は上質の鋼を用い、美術的にも優れた作品が生み出され中興の活況を呈するようになる。同時代を代表する双璧として周知されている優工は『兼定』と『兼元』である。
 二代兼定は明応八年以降頃から兼定の『定』のウ冠下を「之」と切ることから『ノ定』と呼称されて珍重されている。同工の製作期間は、『定』のウ冠下を楷書体で「疋」と切った平造脇差『濃州関住人兼定 文明四年八月日』を以て同工の最初期銘とし、『ノ定』銘の刀『和泉守兼定作 大永六年正月吉日』に至るまでの五十四年間としている。この期間、文明四年(1472)から少なくとも明応八年(1499)までは『定』の字を楷書で切っており、明応十年紀の薙刀では楷書の『定』の字を草書体の所謂『ノ定』へと改めている。
 二代兼定は刀工としてはじめて、国司の任官受領銘を用いたとされ誉れ高い。押型・現存資料によると、和泉守の任官は永正五年頃から同七年の範囲であろう。それまでの備前などの刀剣産地においては刀工が銘に官職名を用いることはあったが、それらは「左兵衛門尉」や「修理亮」といった中央官僚の官職名であり、特に室町時代以降は朝廷から許されたものではなく、通称として用いられ非公式なものであった。これに対して、二代兼定が「和泉守」を正式に任官したのは、美濃国守護代であった斉藤利隆の尽力があったとされている。
 同工の直刃の作刀は短刀を中心に優れた作品を遺し、その精緻な地鉄と気品のある体躯と焼刃を観るに、山城国の名工、来一派の作品に範を採ったとされ高く評価されている。
 表題の二字銘『兼定』短刀の銘は、『兼』の字の第二画目と第三画目の鏨が同方向に連ねてながれ、第九画目の鏨は下から上へと打ち上げ、さらに、十・十一・十二画目は右から左へと同方向に打たれている。また『定』の字の第一画目が下から左上に向かって打たれている手癖がある。この刻銘の特徴は二代兼定の『ノ定』銘をつうじて、楷書体の明応年紀の作品やさらに遡る文明年紀の作刀にも同様の特徴が顕れている。

附)黒石目地塗鞘短刀拵拵全体写真刀装具拡大写真
  • 総金具(縁頭・鯉口・栗形・裏瓦・鐺)、月下薄蝶図、四分一地、毛彫、色絵、無銘
  • 目貫 日月鶴図、高彫、色絵
  • 鍔 無文、銀磨地、無銘
  • 小柄 薄蝶図、四分一地、毛彫、色絵、千秋万歳 銘 一琴(花押)
  • 二重はばき(上貝赤銅・下貝銀地)・銅地金着横鑢はばき、白鞘付属

参考文献:鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、2006
短刀 銘 兼定 附)黒石目地塗鞘短刀拵
短刀 銘 兼定 附)黒石目地塗鞘短刀拵
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