T252445(S2099) 刀 銘 肥前国住伊勢大掾藤原吉広
附)黒腰塗分茶漆金箔押竪篠鞘打刀拵
特別保存刀剣
江戸時代前期(寛文〜貞享頃/1661-87) 肥前
刃長 61.7cm 反り 1.5cm 元幅 31.6mm 先幅 22.5mm 元重 7.0mm
剣形:鎬造り、庵棟。頃合の寸法に、重ね厚く深い中間反りがつき、身幅広く元先の幅差がさまにつかずに中峰のびごころ。刃側が豊かに張る整のとれた小太刀の姿。(刀身拡大写真
鍛肌:総体に小杢目肌がよくつんだ美麗な地鉄に地沸が微塵について小杢目の地景がついた明るく冴えた梨子地肌。
刃紋:小沸出来の広い焼刃は浅く湾れて、箱刃を配して小互の目交える。刃縁には沸・匂が厚く積もり、刃中の匂い頗る深く、ここには葉が浮かんで砂流しがかかり明るい。
帽子:表裏ともに焼き高く、直ぐ調に中丸となり棟に深く焼き下げる。
茎:生ぶ。茎尻を絞り剣形の茎尻に結ぶ。鑢目は切。棟肉平でここにも切の鑢目がある。目釘孔一個。佩裏の棟寄りには太刀銘で『肥前国伊勢大掾藤原吉広』の長銘がある。
 初代の肥前吉広は初代忠吉の門人で名を吉左衛門という。師である武蔵大掾忠広の協力者の一人として勤め、師の歿後は若き二代忠広を補佐したのちに『伊勢大掾』を任官して独立し鞴を構えた。
 銘鑑によると、二代の伊勢大掾吉広は家督継承前は初銘を『吉定』と名乗り、『肥前国住伊勢五郎源吉定』などと銘を刻したという。橋本宗家の工房にて後年の近江大掾忠廣と嫡子の陸奥守忠吉らを手助けしてその代作に従事したと推量されている。寛文年間(1661〜72)に『伊勢大掾』を任官して独立した。
 初代と比較すると、独特の『ひねり文字』の書体で『伊勢』の字を運び、『肥』の旁『巴』の点が一角多く鏨を運ぶのが特徴である。
 豪華絢爛、端整な体躯、精緻な杢目肌をを座右の指針とした肥前刀は武州江戸、摂津大坂と列んで藩政時代をつうじて名工を輩出した。鍋島藩の推奨政策により、肥前刀はその一際高い美術価値から鍋島焼と共に藩の贈答目録の上位に位置し、将軍家からも注文があり、国主への献上品や全国の諸大名からも寵愛を受けて珍重されてきた。

附)黒腰塗分茶漆金箔押竪篠鞘打刀拵拵全体写真刀装具各部写真
  • 総金具 縁頭・責金物・石突、石目地、無銘
  • 目貫:二匹獅子図、赤銅容彫、色絵
  • 鐔:雪華透図、山銅磨地、赤銅覆輪、無銘
  • 柄:白鮫着茶色常組糸諸撮巻
金着せはばき、白鞘付属

参考資料:
片岡銀作『肥前刀思考』昭和四十九年
横山学『肥前刀備忘録』平成十八年
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
 
刀 銘 肥前国住伊勢大掾藤原吉広 附)黒腰塗分茶漆金箔押竪篠鞘打刀拵
刀 銘 肥前国住伊勢大掾藤原吉広 附)黒腰塗分茶漆金箔押竪篠鞘打刀拵
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