T25045(W8257) 脇指 銘 長曽祢興正
附)四つ菱金襴包漆塗鞘脇指拵
特別保存刀剣
新刀 江戸時代前期(延宝/1673年頃) 武州
刃長46.4cm 反り0.6cm 元幅29.3mm 先幅21.2mm 重ね6.5mm
剣形:鎬造り、庵棟のおろし急、身幅が尋常に反り浅く中峰に結ぶ。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌よくつんで杢交え、地沸よくつき地景入る。
刃紋:元に短い焼だし風をみせ、その上は焼刃高く、直刃調にやや大振りの互の目を連ねて交じり、太い沸足が頻繁に入り、匂い深く、沸が厚く付き、総体に砂流しかかり、金筋入り、匂い口は頗る明るい。
帽子:直調子に小丸に返る。表は二重刃こころに先掃きかける風合となる。
茎:生ぶ。鑢目は勝手下がり。茎尻刃上がり栗尻風。目釘孔壱個。指表棟寄りに「長」の字を目釘孔にかけて、大振りの五字銘がある。
長曽祢興正は通称を庄兵衛。師である虎徹興里と同じ越前長曽祢一族の出身にて、虎徹興里の甲冑師時代からの助手とされ、共に江戸に出府したと伝えられる。長じて養子となり虎徹二代目を継承した。寛永寺東叡山忍岡(現在の上野公園一帯)辺りの鍛冶屋敷に同居して師の作刀協力に従事。慧眼するもっとも遡る年紀は寛文十三年(1673)の習作をみる。延宝六年(1678)六月の師の没後 は二代目虎徹を継承した。元禄三年(1690)の年紀が最後である。元禄七・八年(1694-5)頃歿。技量は師についで上手であり、作例が非常に少ないのは、師興里の作品中に、おそらくは興正の代作が含まれていると考えられる。
表題の脇指は、角張った鏨運びで、興正の若打,で延宝の初年頃の作と鑑することができる。一尺五寸四分の頃合いの寸法ながら地鉄は密につんで重量があり、重ね厚く、平肉が豊かについた健躯たる造り込み。板目鍛えの地鉄は肌目つんで地沸で潤い、地景波打って段状の湯走りたつ。刃文は沸深々と付く直刃を基調に、互の目が交じり太い沸足がかかる。刃縁はバサける感があり、一部が沸溢れて太い金筋、砂流し頻りに掛かって頗る明るく冴えて且つ凄みがある。帽子は焼幅を広くとった小丸返り基調ではあるが、表は沸溢れ、二重刃を呈する。地刃共に優れた技量が遺憾なく発揮された名作で上身および茎共に保存状態が極めて良い。
四つ菱金襴包漆塗鞘脇指拵:金襴包漆塗鞘は潤み渋い光彩を放つ。金研出鮫着焦茶摘捲柄。雲雀に唐松図縁頭、四分一地に赤銅・金色絵、銘:政随、行年七十才。雲雀雛図目貫、赤銅容彫。鉄地十字変木瓜鍔、沙耶文に三巴紋を金平象嵌(銘:城州西陣住梅忠橘宗茂)。鉄地鐺、唐草に三巴紋金平象嵌。鉄地栗形、兎図金据文象嵌。鶴に日の丸図小柄、素銅地赤銅・金色絵。総体に上質の金具を用いている。(脇指拵部分拡大写真
内外とも保存状態も頗る良いもので新刀上々作、最上大業物としての誉れ高き一口である。
金着はばき、白鞘付属。