T17276(Y1521) 薙刀 銘 肥前国忠吉 (初代) 第二十回重要刀剣
新刀 江戸時代初期(慶長十六・十七年頃/約400年前) 肥前
刃長49.2cm 反り2.6cm 元幅29.6mm 元重8.6mm
剣形:薙刀造り、三ツ棟。 反り高く、頭が張る。表裏に薙刀樋に添樋の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:地鉄小板目肌がもっともよくつみ、地錵つく。細かな地景が縦横無尽に入る。鉄色澄み渡り傑出した鍛肌を見せて美しい。所詮、小糠肌状となる。
刃紋:湾れ調に小の互の目交え、小足頻りに入り、匂い深く、小錵よくつく。
帽子:表裏ともに直ぐに小丸、返りは長くそのまま棟焼となる。
茎:生ぶ。鑢目は大筋違。目釘孔壱個、茎尻は先入山剣形。棟小肉つく。表の目釘孔上、棟寄りに『肥前国忠吉』の五字銘がある。
 初代、肥前国忠吉の薙刀である。名は橋本新左衛門。時の佐賀城主である鍋島勝茂に二十五石で藩工として抱えられ、慶長元年(1596)に藩命により上洛し、梅忠明寿に学ぶ。同三年(1598)に帰国して佐賀城下で製作に励んだ。元和十年(1624)には再び上京して武蔵大掾を受領し、名を忠廣と改名している。寛永九年八月十五日(1632)没。享年六十一であった。
 本作は彼が四十一歳頃の作刀と鑑せられ、薙刀は極めて希有であり、おそらくは主君鍋島家の特別な注文に依るものであろう。重ね厚く、頭が張り、強く先で反った薙刀姿は如何にも肥前刀らしい整った姿である。湾れ調に小互の目を交える刃文は匂口がすこぶる冴えて、刃中も透明に澄み、総じて覇気ある出来映えで、さながら志津の作域に迫るごとき感がある。
銀着二重はばき。白鞘入