T150239(S2834) 刀 銘 二王清長作
附)黒蝋色家紋散高蒔絵鞘打刀拵
保存刀剣
特別貴重刀剣
古刀 室町時代後期 (天文頃/1532-54) 周防
刃長69.6cm 反り2.2cm 元幅30.0mm 先幅21.1mm 元厚6.6mm
剣形:鎬造り、庵棟、身幅やや広く、鎬筋が高い。腰反りに先反りが加わり元先の身幅差はさまに開かず、中鋒延びごころ。表には素剣・裏には梵字の彫り物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目に流れ柾交え肌立ち、『へら影』と称される白けごころの段映りが顕れる地鉄には柔らかみが感じ取れる。
刃文:小沸出来の直刃調のたれ乱れ、元の焼刃は総体にうるみごころとなり表には焼き落としがある。上部の刃縁はやや締まりごころに小沸付き、浅いのたれ刃にはほつれる刃、二重刃、小互の目乱を交えて小足が入る。佩裏の平地には処々小さな跳び焼きがある。
帽子:ふくらに沿って直ぐ調となり、二重刃。先掃きかけて焼き詰めごころ。
茎:生ぶ。茎尻は入山形、鑢目は浅い勝手下がり、棟肉平。佩表の鎬地上方に細鏨で古雅な『二王清長作』の銘がある。
 周防国の二王派は、鎌倉初期の元久(1205)頃の清綱を始祖とする大和系の鍛冶で、一門の多くが『清』の字を冠することで知られている。清綱には文永二年紀(1265)の太刀が厳島神社にあり、清長には南北朝期の文和(1352-55)年紀を有する『二王清長』を校正古刀銘鑑は載せているなど、鎌倉中期以降の作品が確認されている。二王の呼称の由来については諸説あり、著名なものとしては『宗三郎』と号する清綱が周防国の「杉の森」木崎村の仁王堂が焼失した際に自作の太刀で戸締用の鉄鎖を断ち切って仁王像を救出したことから『二王三郎』と呼称されたという説があり、また周防国の仁保庄(におのしょう)、(現在の山口市仁保)に居住した事により『二王』を冠するようになったという説もある。
 二王派の作風は大和色が強いのが特色で、これは周防国にはやくから庄園が発達して東大寺領になったために多くの寺領が存在し、大和本国との交流が盛んであったためであろう。
 銘鑑によると清長は鎌倉時代後期、正応(1288-92)頃、清綱の弟で周防国吉敷郡仁保庄住とあり、以降は嘉暦(1326-28)、建武(1334-37)、文和(1352-55)、応永(1394-1427)、永享(1429-40)、天文(1532-54)頃にかけて同銘の刀工がいる。
 この刀は身幅が広く中峰延びごころの姿で腰反りに先反りが強く加わり、享禄・天文(1528〜40)頃に広く流布した剣形をしている。地鉄は羊羹肌のように柔味があり、本阿弥家で『二王のへら影』と呼称される段状の映りが鮮明に放って美しい。鍛えは板目に流れ柾を交え、鎬筋は凛として高く、刃縁にはほつれる刃や二重刃を交えて鋩子の焼刃が焼き詰めごころになるなど大和伝の特徴が顕著である。茎の錆色優れて鑢目も鮮明、古雅溢れる銘の鏨も明瞭な佳作である。古研ぎの為、全体にヒケや薄錆がみられます。
付帯の黒蝋色塗家紋散高蒔絵鞘打刀拵:(小道具拡大写真
縁:桐紋散図 赤銅魚子地 金色絵据文象嵌 無銘
目貫:三双桐紋図 容彫 金色絵
柄:白鮫着黒色常組糸摘巻柄
鐔:桐紋散図 赤銅魚子地 金色絵据文象嵌 無銘
二所物(小柄・笄):波に桐紋散図 赤銅地 高彫 金色絵据文象嵌 裏哺金 無銘
金着切羽、金着せ二重はばき、白鞘付属
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑』大塚巧藝社、昭和四十四年
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和五十年


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