O5384(S8914) 刀 銘 備州長船住横山俊左衛門尉祐包 慶應二二年二月日 友成五十八代孫
附)白檀八重牡丹塗鞘打刀拵
特別保存刀剣
特別貴重刀剣
特別貴重小道具
新々刀 江戸時代最末期(慶応四年/1868) 備前
刃長66.0cm 反り1.8cm 元幅29.6mm 先幅19.1mm 元重7.6mm
剣形:鎬造り、庵棟。頃合の刃長・身幅に重ね厚くつきの。やや深めの反りがつき元先の幅差ついて中峰に結ぶ。表裏にははばき上丸留の棒樋の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌よく錬れて総体によく詰み、腰元に大肌ごころを交える。
刃紋:元を直ぐに長く焼きだし、大房丁子・逆丁子に互の目を交えて焼刃の高い重花丁子乱れ。刃縁の匂口締まり、小沸つき、丁子足が刃先に向かって放射し、刃中は清涼な匂で包まれて葉浮かび明るい。
帽子:横手下で互の目を焼いて、直ぐに中小丸となり返りやや深い。
中心:生ぶ。長めの茎には勝手下がりに化粧鑢。刃上がり栗尻に結ぶ。棟肉平でここには大筋違の鑢目がある。茎孔壱個。佩表の上方鎬地にはやや小振りの長銘『備州長船住横山俊左衛門尉祐包』、裏の平地には『慶應二二年二月日』の年紀、平地には『友成五十八代孫』の切付がある。

 天正十九年八月の大洪水による吉井川氾濫により、多くの長船鍛冶場は消失して壊滅的な被害を受けている。新刀期の備前の刀工は永正頃の名工と唱われた与三左衛門尉祐定から数えて四代目にあたる横山藤四郎祐定を中興の祖とし、その子四人がそれぞれ祐定を名乗り独立一家を興している。なかでも七兵衛尉家、源左衛門尉家、宗左衛門尉家は江戸時代を通じて大いに繁盛している。
 幕政時代後期になると、宗左衛門尉家祐定五代目を襲名した『伊勢守祐平』(名を横山覚治、初銘祐定)が出て更なる活況を呈するようになる。長男の『横山祐盛』、次男の『加賀守祐永』や本刀の作者である『横山祐包』などの名工を輩出している。
 表題の『横山俊左衛門尉祐包』は名を『俊吉』といい、備前藩工『伊勢守祐平』の長男『横山祐盛』の養子となり、横山祐平家を継承した。作品の多くが『備前国長船住横山祐包』と切るが、なかには『備州長船住横山俊左衛門尉祐包』などと長銘に刻するものがある。備前藩工の伯父『加賀守祐永』を継いで備前藩工を務め、本作のように茎に『友成五十八代孫』と刻したものがある。
 銘鑑によると、天保六年から明治五年までの年紀作があり、門下には帝室技芸員『宮本包則』を輩出するなど、新々刀期の備前伝横山一門の掉尾を飾る名工。

 この刀は姿よろしく華やかな重花丁子を巧みに焼いて出来がよい。附帯の優美な髙砂図打刀拵も揃う完存の優品である。
附)白檀八重牡丹塗鞘打刀拵拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:髙砂図、赤銅石目地、高彫金色絵、正阿弥勝義(花押)と銘がある
  • 目貫:花束図、銀地容彫、金色絵
  • 鐔:牡丹図、鉄地、地透、肉彫、無銘
  • 鞘:金白檀八重牡丹変塗、鐺 四分一磨地、髙砂松葉松毬図、金銀色絵、無銘
  • 柄:白鮫着紺色常組糸片撮巻
銀地二重はばき、白鞘入(佐藤寒山先生鞘書
参考文献:
『長船町史』長船町、平成十年十月三十一日
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
 
刀 銘 備州長船住横山俊左衛門尉祐包 慶應二二年二月日 友成五十八代孫
刀 銘 備州長船住横山俊左衛門尉祐包 慶應二二年二月日 友成五十八代孫
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