O129439(S2846) 刀 銘 濃州関住兼房作 附)青貝黒漆柳紋塗鞘打刀拵 保存刀剣
古刀 室町時代後期 (永禄頃/1558~) 美濃
刃長 62.4cm 反り 2.0cm 元幅 29.5mm 先幅 19.8mm 元厚 6.6mm
剣形:鎬造り、庵棟、頃合いの寸法。元身幅広めに踏ん張りがつき、反りが深くつく。元先の幅差さまで開かずに中峰のびごころ。室町時代後期の体躯をしている。表裏、はばき上には丸留の棒樋の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:地鉄板目肌よく錬れてつみ、物打ち付近処々流れ大肌ごころ。刃区より水影状の白け映りが地斑調にたつ。
刃文:区上僅かに焼落して小乱れを交え中直刃の匂口締まり、節ごころの小互の目を交えて匂足はいり、刃中は匂い充満し葉浮かぶ。
帽子:焼刃高く、直に中丸に返る。
茎:生ぶ、目釘孔一個。刃上がり栗尻張る。鷹の羽の鑢目、棟小肉つきここには大筋違の鑢目がある。掃表の鎬地上部より小振りで鋭利な細鏨運びの長銘『濃州関住兼房作』がある。
 兼房は関七流中の善定派に属し、室町期の美濃物にあって戦国武将の信頼厚く、兼定・兼元に次ぐ著名工である。『兼房乱』と称する頭の丸い特色ある互の目を創始し、兼元風の三本杉もあり、また本作のような山城伝の直刃などもあって作域が広い。
 『日本刀銘鑑』によると、もっとも古い作例として『兼重の子、永享(1429-)頃』、『兼常門、嘉吉(1441-)頃』とある。年紀作としては文明元年紀より始まり、この作品を事実上の初代としている。文明十二年・十四年紀の兼房を二代、『校正古刀銘鑑』に記述されている大永七年紀の石見守清左衛門兼房を三代とし、永禄頃(1558-69)を四代、永禄・天正頃(1558-91)頃を五代と分類がなされている。
  三代石見守清左衛門兼房の三男「河村京三郎」は天文三年(1534)、岐阜にて生まれ、後『若狭守氏房』を名乗り、尾張国清洲の城主、織田信長に仕えて抱鍛冶となった。

 表題の作刀は山城伝、来国俊あたりに範をとった打刀。鋭利かつ知的な鏨使いの銘文は永禄頃の作と鑑せられ同工の高い技量を首肯する優品である。
 附帯の青貝黒漆柳紋塗鞘打刀拵は柄に大親粒の白鮫を着せ、燻革を菱巻。金色絵鮮やかな杜若束の目貫を配している。家紋陰陽散の縁頭、同作の鞘鐺を配して格調高い。古雅な亀甲紋十字木瓜形尾張鐔が付され、艶やかな青貝黒漆柳紋塗鞘には朧銀亀甲紋の馬針を配した贅沢な尾張様式である。

附)青貝黒漆柳紋塗鞘打刀拵 (拵全体写真各部拡大写真
  • 縁頭・鞘鐺:桐紋・丸に二引図紋陰陽散図、赤銅皺革地 金色絵、磨地小縁、無銘
  • 目貫:杜若束図 赤銅容彫 金色絵
  • 鐔:亀甲図、鉄地十字木瓜形、打返耳、両櫃孔(片櫃亀甲紋赤銅埋)、銘 信家と銘がある
  • 馬針小柄:朧銀磨地、亀甲紋色絵、銘 一光堂 友常の銘がある。
  • 柄:白鮫着 納戸色燻革菱巻
  • 金着二重はばき、白鞘付属
*鞘には処々凹み、補修跡があります
参考文献:
鈴木 卓夫、杉浦 良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 平成十八年
若山 猛 『刀装金工辞典』雄山閣、1984
 
刀 銘 濃州関住兼房作 附)青貝黒漆柳紋塗鞘打刀拵
刀 銘 濃州関住兼房作 附)青貝黒漆柳紋塗鞘打刀拵
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