O114832(S2177) 刀 銘 於備前岡山逸見竹貫齋義隆 切物同作明治三年庚午十一月吉日 |
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新々刀 明治三年(1870年)備前岡山 刃長70.8cm 反り1.7cm 元幅34.2mm 元重7.2mm 先幅24.1mm |
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剣形:鎬造り、庵棟低く、身幅広く、平地の広い造り込み。表に昇龍に刀樋、裏に護摩箸、凡字さらに刀樋の彫り物がある。(刀身拡大写真) 鍛肌:板目肌よく練れて流れ肌目目立ち、大杢目肌交え、地映り立ち、地景働く。 刃紋:匂い出来に丁子刃、重花丁子乱れ。丁子足刃先に向かって好く働き、葉がかり、匂いの働き充満。刃中太い銀線、砂流し長くかつ頻りと働き美景。 中心:生ぶ。在銘。孔一個。鑢目勝手下がり。茎尻栗尻張って、棟肉平。履表にやや小振りの作刀地、茎中心に大振りかつ深い鏨で銘がある。裏に切物同作、および年期を切る。 帽子:乱れこんで掃きかける。 逸見義隆は名を逸見大吉といい、竹貫齋と号した。弘化三年十月に岡山市下之町に生まれ十五歳で京都に出て天竜子正隆に学び元治元年(1868)に岡山に帰郷して備前伝を鍛えた良工。特に彫刻の名手としても知られ、器用人で竹細工にも秀でた名手。人間としても優れた逸材で古老は人間義隆の賞賛を惜しまない。明治二年、三年、四年の年期のある作刀を慧眼するものの維新後は木工細工、彫金や書画に傾倒した芸術家としても知られる。 本作は数少ない逸見義隆の優品で、得意の見事な昇龍の彫り物は目、爪、髭の随所に金象嵌が施され圧倒される出来。地刃ともに変化のある古作備前兼光あたりを彷彿させる作柄は義隆の技量の高さを首肯させるもので頗る健体であることも好ましい。現在の岡山市駅前町天満屋の地に居住していた。大正九年十二月二十四日(1920)没。 時代銅金渡りはばき、白鞘入り。 |
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