O10580(S8912) 刀 銘 豊州住藤原正行 附)黒石目地塗氷砕文鞘打刀拵 | 保存刀剣 特別貴重刀剣 |
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新刀 江戸時代前期 (慶安頃/1648~) 豊後 刃長71.0cm 反り1.9cm 元幅31.0mm 先幅19.5mm 元厚7.6mm |
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剣形:鎬造り、庵棟。寸延びて、元身幅広く、元先の幅差が頃合いにつく。手持ちずっしりと、鎬高く重ねの厚い尚武の気風を尊ぶ堅強な体躯。やや深めの中間反りがつき、延びごころの中峰に結ぶ。(刀身全体写真) 鍛肌:よく詰んだ小板目を基調に、平地に地錵がよくついて精緻な地景が柾目状にはいる地鉄を魅せて美しい。 刃文:中直刃が浅く湾れて小互の目の節を処々に交え、二重刃・ほつれる刃がある。刃縁に柔らかな小沸がよくついて匂口深く葉浮かび、刃中には明るい匂が充満している。 帽子:表裏ともに焼刃高く、直ぐに中丸となりやや深く棟に堅く留まる。 中心:生ぶ。茎尻は刃上りの栗尻形。浅い勝手下がりの鑢目がある。棟肉は平でここには大筋違いの鑢目。目釘孔一個。佩表鎬筋上、上方には『豊州住藤原正行』の七字銘がある。 南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)の地を中心として栄えた建武頃の筑前左文字の門人『友行』を祖とする高田一派は、戦国時代に大友宗隣の抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて『平』姓を名乗り美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をした。備前・相州に範を採った作品や、美濃伝風の三本杉尖り互の目を焼き入れたり、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃や大和伝の作風を示すなど広範囲な作域を展開して中流士族らの尚武の需に応じて繁盛した。新刀期になると、多くの鍛冶は『藤原』姓を名乗り、『統行』、『重行』、『貞行』、『実行』、『正行』、『本行』など『行』をきるようである。 銘鑑によると、『正行』の活躍期は江戸時代初期、慶安頃(1648~)とされ『実行』の子という。江戸時代、新刀期には肥後細川家の飛地となった同地で鍛刀を続け宝暦(~1763)頃の三代まで高田の地に鞴を構えている。 この刀の作風は身幅広く重ねの厚い強靭な剣形をしており慶安頃の作と鑑せられる。生ぶの茎は良好な錆味を保持し、元姿を留める頗る健全な体躯。入念な小板目鍛の鍛錬には精緻な地景が柾目状に煌めいて美しい。同工の大和伝を念頭とした優れた手腕を明示する秀作である。 附)黒石目地塗氷砕文鞘打刀拵 (拵全体写真・刀装具拡大写真)
参考文献: 本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年 |
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