M28932(W2780) 脇指 銘 備州長船祐定 永正八年二月日 保存刀剣
古刀 室町時代後期(永正八年/1511) 備前
刃長 60.3cm 反り 2.1cm 元幅 29.1mm 先幅 18.4mm 元重6.7mm
剣形:鎬造り、庵棟。重ね厚めに、元身幅広く元先の幅差さまで開かず先反りが加わり中峰に結ぶ。(刀身拡大写真
彫物:樋先の下がった棒樋は添樋を伴いはばき上で丸留めとなる。
鍛肌:板目肌に杢交え肌立ち、湯走り状の地沸ついて乱れ映りが鮮明にたつ。
刃紋:沸主調の小互の目に広狭ある丁子・尖り刃を交えて処々逆がかる、刃縁には小沸厚く微塵について互の目の焼頭から沸がは地に放射して飛び焼き・湯走りかかる。刃中の匂口深く葉浮かび、互の目の沸足が刃先に放射して足を跨いで砂流し・金筋賑々しくかかるなど沸匂の闊達な働きがある。
帽子:焼き強く乱れ込む。
茎:生ぶ、茎目釘孔弐個。片手打ちに適した短めの茎。鑢目は勝手下がり、棟肉平で勝手下がりの鑢目。栗尻張る。佩表の鎬地に古雅な鏨運びで『備州長船祐定』の六字銘を刻し、裏には『永正八年二月日』の製作年紀がある。

 長船祐定は勝光・清光らと並び『末備前』もしくは『永正備前』と呼称される室町時代後期の備前鍛冶を代表する名家である。永正期における祐定は『与三左衛門尉』をはじめとして『彦兵衛尉』、『源兵衛尉』を冠する祐定がおり、『校正古今鍛冶早見出』によれば俗名を冠する祐定を二十一人揚げている。
 本作は俗名こそ添えられていないが、永正頃の定寸法をして片手打ちに適した打刀姿。腰反に先反りを加えた素早い抜刀に好適な体躯は、重ねを厚く採った強固な肉置きをしながらも、丸留の棒樋により重量が調整され、さらには刃抜けのよさを配慮された同時代の打刀の典型でもある。小互の目に丁子刃を交えた行草に乱れた華やかな刃文は殊の外変化に富んでいる。また表裏に施された添樋を伴う丸留の棒樋は入念であり、祐定の作域中比較上手な一口である。
 硬軟の鋼を板目に鍛造した地鉄には沸映りが鮮明にたち、沸本位の焼刃には行草に華やかに乱れて明るく冴え野趣に富んだ金線・砂流しが賑々しく表出している。
 五百有余年を経ても尚健全な体躯を保持しており、地刃共に活力漲る旺盛な働きが十分に楽しめる祐定の優れた技量を明示する秀品である。

銀無垢はばき、白鞘入
参考文献:『長船町史 刀剣編図録』 長船町 平成十年

注)中世末期、所謂室町時代中後期の打刀の体躯の特徴に、永正・大永(1504~27)頃は二尺~二尺一寸くらいの、寸法がつまって、片手打刀恰好のややズングリした姿が主体であり、これが享禄・天文(1528~40)頃になると刃長が二尺二寸台位に延びて、やや身幅が広く中峰延びごころの姿が多くなる。さらに時代が下り、元亀・天正(1570~91)頃の室町時代最末期になると寸法は二尺三寸以上、身幅広く、元先の幅差があまり開かずに、大峰に結び、茎の寸法も片手打ちから両手打ちへと移行する傾向が窺われ、上半には先反りの付いた頑健な打刀姿に変貌していく
 
脇指 銘 備州長船祐定 永正八年二月日
脇指 銘 備州長船祐定 永正八年二月日
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