M28815(S3011) 刀 銘 奥大和守平朝臣元平 享和元酉春 特別保存刀剣
正真鑑定書
新々刀 江戸時代後期(享和元年/1801)薩摩
刃長 71.6cm 反り 1.9cm 元幅 31.5mm 先幅 22.1mm 元厚 6.6mm
剣形:鎬造り、庵棟。二尺三寸六分強とやや寸が延びて身幅広く深めの反りがつき、元先の身幅差が頃合いにつき中峰延びる所謂『元平姿』と称される豪壮な姿。(刀身全体写真
鍛肌:強靭な板目鍛えの地鉄は処々大肌が顕れて『蜘蛛の巣状』となり、『芋蔓』もしくは『釣り針』と称される太い地景が板目肌に呼応して顕れて地錵が平地一面を厚く覆う『薩摩肌』と称される薩摩新々刀独特の地鉄。
刃文:錵匂ともに真に厚く深い湾れ刃には、尖り刃交じりの互の目乱れを交えて刃縁には粗沸が厚く絡んで稲妻、金線、砂流し頻りとかかり、力強い『芋蔓』と称される長く繋がった太い沸筋が刃中から地にかけて表出して『釣り針』状態の地景が表出する特徴があり、刃縁の錵匂ともにますます華やかにすっきりと明るい光彩を放つ。
帽子:表裏とも焼刃高く、乱れ込んで掃きかけて返る。
中心:薄肉舟底形に先細り茎尻を剣形に結ぶ。大筋違の鑢目、目釘孔壱個。太刀銘で『奥大和守平朝臣元平』裏には『享和元酉春』の年紀がある。剣形の茎尻底部には隠鏨がある。

 新々刀期の薩摩を代表する優工、元平は同郷の正幸とともに、主水正正清や一平安代両工らが島津家の庇護のもと営々と相州伝の伝法を熟成させた後、志津風相州伝をさらに昇華させた名品を遺している。元平は奥孝左衛門と称し、延享元年(1744)に奥家の四代、元直の嫡子として生まれ、安永六年(1777)に家督を継ぎ天明五年(1785)に薩摩藩工になり島津家に仕えた。
 はじめ『薩州士元平』、『薩藩臣奥元平』などと刻し、寛政元年(1789)十二月一日、正幸が伯耆守を任官する同日に、同工は『大和守』を受領して『平』姓および有力氏族の称号『朝臣』を下賜されてた。以降はおもに『奥大和守平朝臣元平』と銘をきり相州伝の名作を遺した上々作の優工である。
 本作のように『元平姿』と称されている刀姿は身幅の広い慶長新刀姿を踏襲しながらも、物打ち付近から切先の身幅をやや減じて反りをやや深くした豪壮な姿に、鎬幅を狭く平肉を減じる体躯を特徴としており、大切先になった豪壮な姿の脇指の作品を遺している。刀はほとんどを太刀銘で刻しており脇指・短刀は佩表に銘を切る。茎は舟底風の茎尻を剣形として茎尻底には偽造防止策として隠鏨を刻している。大和守受領以降の多くは裏年紀に年、月日を刻さずに、「支」のみをきり、季節も殆どが「春」と「秋」のみが多くなる。
 文政九年七月十三日(1826)歿、行年八十三の長寿であった。
 本作は元平五十八歳の円熟作で、身幅広くどっぷりとした豪壮な体躯は薩摩新々刀の典型。錵匂ともに殊の外深く、特に物打ちから切先にかけての錵の華はとりわけ明るい閃光を放ち、錵が地に溢れて地錵の華を咲かせる様相は同工の特徴を明示している。姿・地刃ともに同作にありがちな仰々しさがなく、いかにも古作志津を偲ばせるものがあり同工大成期の屈指の佳作である。
金着二重はばき、白鞘入
 
刀 銘 奥大和守平朝臣元平 享和元酉春
刀 銘 奥大和守平朝臣元平 享和元酉春
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