K5976(S1982) 刀 浜部眠龍子寿実 鋼亦不吐
附)青貝微塵散鞘打刀拵
保存刀剣
新々刀 江戸時代後期(文化頃/1804〜) 因幡
刃長67.0cm 反り1.2cm 元幅31.8mm 元重8.0mm 先幅20.0cm
剣形:鎬造、庵棟。重ね厚くついて元身幅広く、均整の採れた美しい中間反りがつき、元先の幅差ややついて中峰に結ぶ。鎬幅に比して平地広く、平肉がつかない新々刀期の典型的な体躯で、手持ちどっしりとした重厚な打刀(刀身拡大写真
鍛肌:小板目肌が微塵に詰んだ精美な鍛えに地沸ついて地景細やかに入り無地風となる。
刃文:直ぐに焼きだして、湾れに小詰んだ小丁字を交え、所謂菊花丁子を焼く。刃中匂いを敷いて刃縁は小沸が凝縮して積もり明るく冴える。
帽子:菊花丁子を焼いて乱れ込み、表は小丸、裏は中丸となりやや深く焼き下げる。
中心:生ぶ。茎尻は入山形。目釘孔一個。筋違に化粧の鑢目。棟肉ついてここにも筋違の鑢目がある。佩表の目釘孔下、鎬筋上に大振りの銘『濱部眠龍子壽實』、佩裏の目釘孔上には『鋼亦不吐』の切付がある。

 浜部寿実は名を儀八郎、寿格の子として安永六年(1777)因幡鳥取城下に生まれた。師で父である浜部寿格を継いで西の名匠としての浜部家を確立させ多くの門人を養成した。初銘『寿国』、寛政九年(1797)に『寿実』と改めた。享和元年(1801)以降は『眠龍子』と号した新々刀上作鍛冶である。江戸の水心子正秀に対峙する名声を享受した名門であり、門下には山浦真雄・清麿兄弟の師として著名な信州上田藩工の河村寿隆がいる。
 地鉄は小板目がよく詰んで美しく締まり、浜部門の創始した菊花丁子乱れを焼いている。『剛亦不吐』強い者を畏れず の一節を切り付けがあり、尚武の気風を今に伝える。浜部一派を代表する典型作で、江戸時代後期の時代拵が付随しているのも好ましい。

附)青貝微塵散鞘打刀拵(拵全体写真 佩表佩裏 / 刀装具各部写真
  • 頭・鐺:朧銀皺革石目地 無銘
  • 縁:山銅皺革石目地 無銘
  • 目貫:粟穂図 赤銅地 容彫 金色絵
  • 鐔:丸形無文 山銅磨地 両櫃孔 無銘
  • 柄:白鮫着 黒色常組糸 ゥ撮菱巻
山銅地腰祐乗鑢一重はばき 
時代打刀拵に200年以上に及ぶ長期間保管されており、古研ぎにつき処々に僅かな錆があります。白鞘は付属しておりません
 
刀 浜部眠龍子寿実 鋼亦不吐
刀 浜部眠龍子寿実 鋼亦不吐
 ホームに戻る