剣形:鎬造り、庵棟。身幅頃合いに先反り高くついて元に踏ん張りがあり中峰に結ぶ。(刀身拡大写真)
彫物:表裏腰よりの鎬地に梵字を二字づつ彫る。
鍛肌:板目に杢交じり、総じてよく詰んで棒映りたつ。
刃文:総体に匂い勝ちの大湾れに腰開きの互の目乱れを交え、足・葉入る。刃縁には小沸積もり明るく冴える。
帽子:中鋒。焼刃は乱れ込んで小丸に返る。
茎:僅かに磨上げ。目釘孔二個。鑢目勝手下がり、栗尻張る。掃表の棟寄り下方に小振りの二字銘がある。
応永備前鍛冶は盛光、康光を中心に師光・経家・家助などが高名である。『応永備前』の名はこの期の備前刀鍛冶が応永年紀を切ることから呼称されている。復古的な作風をしめすものが多く、前時代の備前刀が豪壮な太刀姿に小湾れや互の目を主調とするのに比して、応永備前のそれは鎌倉時代の長船古作物に近いやや細身で頃合いの姿に、出入りのある丁子乱れや互の目の優美な刃文を表出しているものを多くなるようである。
初代の家助は畠田守家の子で文永(1264~75)頃の刀工と伝えているが、在銘中の作刀には応永年紀を遡るものを慧眼しない。そのため、応永頃(1394~23)の家助を事実上の中興の祖として、以降は文明(1469~86)頃の四代まで続いている。後代の作品は小脇指・寸延短刀が多く、応永頃の家助は太刀のほかに打刀の作品もある。所謂応永頃に隆盛した備前刀鍛冶らの作品は太刀と打刀の作刀が同居しており、やがては打刀が隆盛する時代を迎える。
この打刀は僅かに磨上げながらも腰に踏ん張りがあり姿が良い。同時代からは太刀の指添として打刀が隆盛し、片手打を想定した造り込みであることから茎は短く、素早い抜刀を目した頃合いの寸法に腰反りに先反りが強くついた優美な体躯は応永備前の特徴を顕著に顕している。
ゆったりとした優麗古雅な刃文は腰開きの互の目乱れを形成し、長船初期物の優美な作域を範としている。前代の南北朝時代のような豪壮な太刀とはその姿と刃文を大きく変貌した応永備前期の鍛冶『家助』の優品である。
茶梨子地葵紋散蒔絵鞘糸巻太刀拵 (拵全体写真・拵各部拡大写真)
- 総金具(兜金・猿手・縁・足金物・柏葉・石突) 花唐草図 赤銅磨地 毛彫 無銘
- 目貫:葵紋三双図 素銅地 容彫 毛彫 金色絵
- 鐔:葵形 赤銅磨地 葵紋散図大切羽(二枚) 高彫 四方猪目透 銘 光寿
- 鞘:茶梨子地 葵紋散高蒔絵
- 柄:金襴着 納戸色平菱巻
金着せはばき、白鞘付属 |