I22410(S1500) 太刀 銘 傘笠正峯作之 辛酉八月日 為筧久一 重要無形文化財保持者
現代刀 昭和五十六年(1981年) 石川県
刃長74.7cm 反り3.0cm 元幅33.8mm 元厚8.0mm 先幅23.9mm
剣形:鎬造り、庵棟低く、腰で深く反り、元身幅広く重ね頗る厚く、先の身幅も広く張って中切先がさらに延び心となった勇壮かつ美しく品位のある姿。表裏には浅く広めの掻流し棒樋の彫り物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:地鉄は総じて柔らかな潤いのある小杢板目がよく詰んだ清涼な鍛えに微細な元素が緻密にからみ、地沸きが付き、細やかな沸筋が沸きだして所詮「地景」となり、丁字の頭より煙り込んだ地映りは所詮「牡丹映り」となり古雅な味わいの深い鍛え肌を呈して真に美麗。
刃紋:総体に小沸出来の丁字刃。均一で克つ繊細なる焼き入れは刃中に匂いを充満させ霞み、刃は袋丁字、蛙子丁字など交え、丁字の足は角度に変化がありかつ柔らかくはいり、桜花絢爛の「隅谷丁字」を遺憾なく発揮。丁字の焼頭は柔らかく精細で頭の頂点から小沸が地に煙り込み映りを顕す。
帽子:表裏とも乱れ込んで先やや突き上げごころに中丸に返る。
中心:茎生ぶ、鑢目勝手下がりに化粧。茎尻は刃上がり栗尻張る。目釘茎孔一個。
隅谷正峯は大正十年(1921)石川県松任町(現・白山市)で老舗の醤油業の長男として生まれた。家業を継ぐ期待を背負いながらも刀剣製作の夢を叶えるべく京都の現・立命館大学、機械工学科に入学し、宿命の出会いとなる「立命館日本刀鍛錬所」の設立に遭遇する。ここで師である刀匠・櫻井正幸に学び芸術的視野を広めた。立命館鍛錬所の焼失とともに、兄弟子とともに広島県尾道市の興国日本刀鍛錬所に行き、研究に没頭した。しかしながら45年の敗戦とともに失意のうちに実家に戻り家業を支えた。転機は昭和二十八年、第五十九回の式年遷宮に備え、御神宝の刀剣を製作する名誉であった。これを機に隅谷氏は古名刀への研究に没頭することとなる。地場の山中にある砂鉄を集め、古式たたら精錬炉を創り、さらには和銑を炉にいれて炭素量を減らした鋼を用いて(銑おろし)、微量元素と炭素が不均一にが絡み合う、玉鋼だけでは為し得ない深みと味わいのある鍛錬法を興し、精美かつ変化のある鍛肌に袋丁字、蛙子、大丁字、小丁字を見事に表出した作品はまさに隅谷正峯の創作であり、我が国独自の文化として名高い長船初期作や福岡一文字の復古だけでなく「隅谷丁字」としての美を追究した功績により昭和五十六年に人間国宝に指定された。本作は重要無形文化財保持者(日本刀)認定の年に製作された祈念の作品であり、隅谷正峯六十一歳の円熟かつ完成期の作品である。「傘笠」とは京都・立命館にあった棟で、昭和三十一年(1956)に鍛錬所を自宅に新築した際にその名を継承して号とした。敗戦の痛手から立ちなおり、和の美を追究した正峯の傑作である。
金着二重はばき、白鞘入り。