H90842(W7034) 脇差 銘 国廣  第二十六回重要刀剣
新刀 江戸時代初期 (慶長/1600年頃)
刃長36.1cm 反り0.6cm 元幅30.5mm 茎長11.8cm
剣形:平造り、三ツ棟、身幅広く、寸伸びて先反り付く。(刀身拡大写真
鍛肌:板目に杢交じり、肌立ちごころとなり、地沸付いて地景入る。
刃紋:浅い湾れ調に互の目交じり物打ち付近に食い違い刃交じり、匂い深く良質の小沸ついて砂流しかかる。
中心:生ぶ。刃上がり栗尻、鑢目大筋違い。目釘穴一。指表目釘穴の下に大振りの二字銘がある。
本名を田中角左衛門。日向国飫肥城主伊東義祐の重臣である国昌の子として生まれた名家の出で、父とともに伊東家に仕えたが天正五年十二月(1577)主君が島津義久に滅ぼされた後は御家再興を期して九州各地を馳せ、生活の一助として鍛刀した。天正十五年ごろに京都に出てここを基点として各国への流浪の旅を始めた。上杉謙信に仕え、豊臣秀吉の幕下となって関東に下り、後石田光成に仕えたと伝えられる。本作は所詮「堀川打」と称せられ、京の一条堀川に在住した慶長四年(国廣六十九才)以降の作で、桃山時代に流行した寸延びで身幅広いずんぐりとした平造は慶長新刀の豪放な味であり、大湾れに地景、金筋が働くところは相州伝を示し、互の目が連なり、砂流しかかるところは志津を彷彿させる。冴えた沸がよく付き金筋、砂流しなど申し分のない働きをみせ貫禄と品格を兼ね備えた本作は国広晩年の円熟老巧の作。新刀鍛冶の第一人者と称され門人名手を数多く輩出した。