H4912(S2682) 刀 銘 濃州関住兼房
附)黒漆千段塗鞘打刀拵
保存刀剣
古刀 室町時代後期 (天正頃/1573~) 美濃
刃長 72.2cm 反り 1.9cm 元幅 30.1mm 先幅 20.9mm 元厚 7.6mm
剣形:鎬造り、庵棟、寸延びて身幅広く重ね厚く、鎬筋が高い強靭な体躯。頃合の反りがつき中峰が延びた室町時代末期の典型的な姿をしている。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌の地鉄よく錬れてつみ、地沸つき処々湯走りかかる。
刃文:互の目・三本杉の尖り刃の焼刃は鎬筋におよび殊の外高い。刃縁には小沸が厚くついて焼頭に湯走りがかかり二重刃状となるところがある。刃中の沸足が刃先に放射してよくはいり砂流し頻りとかかる。物打ち上部には棟焼きがある。
帽子:焼刃高く、乱れ込んで互の目を焼いて中丸となり返り深く棟焼きに繋がる。
茎:一寸ほどの区送り。目釘孔弐個。刃上がり入山形の茎尻。大筋違の鑢目、棟肉平でここにも大筋違の鑢目がある。掃表の鎬地寄りに、大振りで太鏨運びの長銘『濃州関住兼房』がある。
 兼房は関七流中の善定派に属し、室町期の美濃物にあって戦国武将の信頼厚く、兼定・兼元に次ぐ著名工である。『兼房乱』と称する頭の丸い特色ある互の目を創始し、本作のように兼元風の三本杉もあり、さらには山城伝の直刃などもあって作域が広い。
 『日本刀銘鑑』によると、もっとも古い作例として『兼重の子、永享(1429-)頃』、『兼常門、嘉吉(1441-)頃』とある。年紀作としては文明元年紀より始まり、この作品を事実上の初代としている。文明十二年・十四年紀の兼房を二代、『校正古刀銘鑑』に記述されている大永七年紀の石見守清左衛門兼房を三代とし、永禄頃(1558-69)を四代、元亀・天正頃(1570-91)頃を五代と分類がなされている。
 三代石見守清左衛門兼房の三男「河村京三郎」は天文三年(1534)、岐阜にて生まれ、後『若狭守氏房』を名乗り、尾張国清洲の城主、織田信長に仕えて抱鍛冶となった。宗家以外にも兼房を名乗る刀工は神戸(安八郡神戸町)に住したものや、犬山城下で作刀したものがある。
 表題の作刀は永禄~天正頃の兼房の作刀。鎬筋高く重ねの厚い中峰延びた強靭な体躯は戦国時代の尚武の気風に満ている。鎬筋に及ばんとする背の高い沸主調の三本杉焼刃は戦国時代における婆娑羅の機運を今に伝える。激動期の尾張・美濃の戦国武将・豪族の良業物としての信頼ことのほか厚く、同工の高い技量を首肯する秀品である。

附)黒漆千段塗鞘打刀拵拵全体写真各部拡大写真
  • 縁頭:葭雁図、赤銅魚子地、高彫金色絵、柳川直政と銘がある
  • 目貫:布袋図、赤銅容彫、金色絵
  • 鐔:鈴虫透図、鉄地竪丸形、地透、両櫃孔、無銘 伝 赤坂
  • 割笄:五月雨図、銀地、無銘
  • 柄:白鮫着 茶色常組糸諸撮菱巻
  • 金工時代はばき
白鞘付属
*鞘には処々凹み、補修跡があります
参考文献:
鈴木 卓夫、杉浦 良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 平成十八年
 
刀 銘 濃州関住兼房
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